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陳舜臣ものがたり水滸伝

2016年12月12日 月曜日 雪のち晴れ

陳舜臣 ものがたり水滸伝 陳舜臣中国ライブラリー16 集英社 2000年(オリジナルは初出誌は「週刊朝日」1974年1月4日から11月1日号、初刊本は「水滸伝」上・下 朝日新聞社 1975年 、文庫版は「ものがたり水滸伝」と改題)

 地獄の沙汰も金次第。ーーーと日本でいう。
 中国にも
 ーーー有銭能使鬼推磨
 という言葉がある。金があれば鬼に臼をひかせることだってできる、という意味なのだ。
 ーーー有銭可以通神
 ともいう。金は神様に通じる。ーーー
 旧中国では、賄賂は半ば公然であった。それはむしろ礼儀であり、袖の下を渡さないのは、礼儀知らずといわれた。なにかにつけて、金銭の受け渡しがおこなわれたものである。渡す方も受け取るほうも、あまりうしろめたい気持ちはない。
 あの暴れ和尚の魯智深でさえ、滄州の近くまで林冲(りんちゅう)を見送って別れるとき、いちどはぶち殺そうとした二人のへなちょこに、二両か三両の銀子を渡している。
・・・(中略)・・・
 このようにワタリをつけることを、むかしの中国では、
 ーーー通関節
 と言った。重要なポイントの節ぶしを、うまく通じるようにするのだ。それを怠ると、節が詰まって、関節炎をおこして、痛い目に遭わなければならない。(陳舜臣、同書、ものがたり水滸伝、p308-309)

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軍の機動力は、すべて馬に頼った時代である。歴代王朝は馬政に力を入れた。とくに宋は、遼、金、西夏など、騎馬民族と敵対関係にあったため、神経質なほど馬政機構の改変を行っている。・・水滸伝の時代は、中央の馬政は太僕寺(たいぼくじ)という役所が統轄していた。(陳舜臣、同書、p311)

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梁山泊めざして

「身を寄せるのに、よいところがあります」
と紹介状を書いた。
山東省済州(せいしゅう)管下の梁山泊という水郷である。まわりが四,五百キロもあり、そのなかに宛子城(えんしじょう)と蓼児洼(りょうじわ)があり、攻めるに難く、守るに易いという恰好の亡命地。現在は、三人の好漢がそこに寨(とりで)をつくって、七、八百人の手下を集め、強盗稼業をやっているという。
・・・(中略)・・・
済州(せいしゅう)は現在の山東省巨野県(きょやけん)だが、梁山泊はその管下にあるというだけで、じっさいは済州の北約五十キロほどのところにある。現在は梁山県になっている。・・・宋代では淮河(わいが)と首都開封(かいほう)を直接に結ぶ卞河(べんが)が幹線運河なので、済州のほうは、水路があってもさびれていたであろう。裏路地の水郷といおうか、いかにも亡命者の集まりそうな場所である。(陳舜臣、同書、p316-317)

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レジャーのすくない時代では、井戸端会議は実益を兼ねた娯楽でもあったのだ。
 水滸伝の物語の中でも
 ーーーお噂はかねがねうかがっておりました。
 と、初対面の人たちが言うくだりが多い。
 話をつなぐ便宜もあるだろうが、じっさいに「噂」は熱心に語られ、聞かれたものだった。「噂」という字は、日本ではウワサであるが、中国では「集まって語る」という意味しかない。中国のウワサは、風言とか風声といったふうに、「風」の字を用いる。ウワサは風にのってひろまるのだ。(陳舜臣、同書、p333)

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