2015年12月19日 土曜日 曇りのち晴れ
「白川静 孔子伝 中公文庫 1991年 オリジナルは1972年の中公叢書」
体制の理論とされる儒教も、その出発点においては、やはり反体制の理論であった。そのことは、孔子の行動がよく示しているところである。しかし反体制の理論は、その目的とする社会が実現したとき、ただちに体制の理論に転化する。それが弁証法的運動というものであろう。儒教的な思惟になお生命があるとすれば、それはまたやがて、新しい反体制の理論を生み出してくるかも知れない。儒教ははたして、本来どのような体質をもつものであったか。今後においても、なお思想としての可能性をそのうちに含みうるかどうか。哲人としての孔子は、それにみずから答えようとはしない。われわれはその伝記のうちから、何ものかを読みとってゆくほかない。(白川、同書、p19)
哲人の事業が、ひとえにその人の言行によってのみ示されるとすれば、伝記こそ、その思想でなければならない。これらの哲人は、その伝記の上にのみ存在する。(白川、同書、p13)
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