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『ルカ』22章43-44では、イエスは静謐冷静だったのか、それとも深く苦悩していたのか。

2021年1月14日 木曜日 雪のち曇り時々陽射し

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バート・D. アーマン 松田和也訳 書き換えられた聖書 筑摩学芸文庫 2019年(原著は Bart D. Ehrman, Misquoting Jesus, The story behind who changed the Bible and why., Harper Collins Publishers, 2005. )

補註: 同書の邦訳のオリジナルは柏書房『捏造された聖書』2006年。筑摩学芸文庫への文庫化にあたり、タイトルを改めた、とのこと。確かに、捏造という言葉は本書の場合、明らかに誤訳である。今回の筑摩学芸文庫で「書き換えられた=misquoting」と訳し直したのは良い判断だと思う。


問題の条の解釈に重大な影響を及ぼす重要な異文の実例:

『マルコ』1章41でイエスが覚えたのは哀れみか怒りか、『ルカ』22章43-44でイエスは静謐(せいひつ)かつ冷静だったのか、それとも深く苦悩していたのか、そして『ヘブライ人への手紙』2章9で彼は神の恩寵によって死んだと言われているのか、あるいは「神から離れて」死んだとされているのか。その答えを知ることは明らかに重要だ。そしてこのように、著者の真の言葉を知ることが内容解釈のためにきわめて重要であることを如実に示してくれる実例は、他にも無数にある。(アーマン、同書、p243)


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再掲: 『ヘブライ人への手紙』2章9で彼は神の恩寵によって死んだと言われているのか、あるいは「神から離れて」死んだとされているのか。(アーマン、同書、p243)

・・分割論者(補註: =〜グノーシス的なキリスト理解)のキリスト論によれば、キリストは実際に「神から離れて」死んだのだ。というのも、あの十字架の上で、彼に取り憑いていた神的存在が彼から離れ、イエスは独りで死んだのだから。あのテキストがこのおような見解の裏づけとなりうることに気づいたキリスト教(補註:=原始正統派)の書記たちは、とても簡単な、だが深遠な改竄を加えた。・・・(中略)・・・つまり、反分割論的改変である。(アーマン、同訳書、p279)

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