literature & arts

猫町を誘致

私の部屋に「猫町」を誘致

 

2005年8月2日

 

日曜日に札幌駅の本屋さんの詩集コーナーで、萩原朔太郎の「猫町」* を見つけた。金井田英津子さんの画の本で、装幀も美しい。これを買ってきて、職場に持ってきて、朔太郎の写真集「のすたるぢや(詩人が撮ったもうひとつの原風景)」** と並べて立てた。朔太郎が使っていたのはフランス製のステレオスコープ。「僕はその器械の光学的な作用をかりて、自然の風物の中に反映されてる、自分の心の郷愁が写したいのだ。」**、という。

 

「猫町」は極めて不思議な世界だ。不意に紛れ込んだ「景色の裏側」の世界。

 

一方、アラーキーと森まゆみさんの「人町」*** も私の部屋に飾ってある。この「人町」のタイトルから「猫町」を連想しない人はいないと思う。が、ひょっとして、「猫町」を知らない人が聞いたら、「人町」は当たり前の真ん真ん中過ぎて、全く意味をなさない。すなわち、「景色の裏側」のはずの「猫町」が存在しなければ、「景色の表側」である「人町」も存在し得ない、という、奇妙な論理の反転が生じている。パロディーの世界では、この反転現象が生じやすい。不思議な世界をもう一回さらに不思議の方向に回転させると、極めて当たり前の世界に戻ってしまうのである。

 

さて、私の職場の本棚。この「人町」と「猫町」を並べて立てるか、離してたてるか、迷っている。たとえば谷中(東京、台東区)の街並みは、天才アラーキーにかかれば、「猫が来るといいな、というとどこからともなくニャーオ。」という町に変わる(「人町」の森さんのあとがきより)のであるが、朔太郎にとって通常は、「終日白っぽい往来」*(猫町、8ページ) に見えるであろう。が、ある時、突然、詩人は「第四次元の別の宇宙(景色の裏側)」(猫町、79ページ)を見るのである。そんな経緯を考察すると、景色の表と裏の関係にある「人町」と「猫町」、とりあえずは、並べて立てておいても、猫と人とで喧嘩することもなかろう、と思う。

 

私の部屋を訪れる人は、是非、この不思議なマッチとミスマッチを見つけて楽しんで欲しい。

 

 

* パロル舎 1997年。

** 萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや 新潮社 フォトミュゼ 1994年。

*** 旬報社 1999年。

 

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