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「安心な老後」と「末は小町」

 

一読すると、なるほどと感心する文章だったのに、しばらくしてから、スッキリしないものがホコホコと浮かんでくることがある。 WEBページに公開されている「末は小町をめざして」という田中優子さん(以下TYさん)の文章もその一つである。私なりにあれこれ考えてみてたどり着いた結論から先に述べると、TYさんの文章の全体の論旨には共感させられるのだが、「安心な老後」と対比された「末は小町」という言葉の使われ方に私独特の引っかかりを感じているのである。以下にWEBページから一部を引用しながら何がそしてどうして引っかかるのか考えてみたい。少し長い引用となるがご容赦いただきたい。

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<以下引用>  http://onnagumi.jp/koramu/anosuba/anosuba44.html

なぜかしきりに、今までの様々な事柄からリタイアしたいと思っている。今は、従来の発想ややりかたを墨守していては切り開いていかれない時代だ。自分自身が変わりたいからだが、それより何より、二〇代から四〇代の人たちが思い切り力を発揮できる環境が必要で、そのスペースを空けたい。同じ世代の中には、これから権力を握ろう、これからいい思いをしよう、という人たちもいるのだろうが、そんな人間が多くなったら最悪だ。最低限のことを伝授しつつ、道を譲る時なのである。このごろはふと気がつくと、その「伝え方」と「あけかた」を考えていることが多くなった。

江戸時代では、それを隠居といった。隠居は世間的な価値とは異なる生き方をする時間で、可能な人であれば三〇代から隠居した。そう極端でなくとも、五〇歳にでもなれば隠居し、運良く生き延びれば、次の地平で異なる生き方をしたものである。隠居には後身に道を譲る、という意味も含まれる。だからたとえ重要な仕事をしていて、しかも元気であっても、隠居は早くすべきなのだ。そうでないと社会が停滞する。

「そんなこと言っても老後が不安で」という人が多い。不安でない老後を保障しろ、という人もいる。しかしそうなのだろうか。江戸時代の隠居は、年金がないから自分で稼いだお金で隠居生活を送った。そのために、若い頃から節約するのは当たり前だった。湯水のように金を使った人まで「不安の無い老後を」というのは虫が良すぎる。華やかな生き方をするのであれば、「末は小町」を覚悟すべきだろう。この場合「小町」とは「卒塔婆小町」の意味で、老齢のホームレスの女性を言う。

老いたら、この先自分はどうなるのか、いつまでどのように生きられるか、不安なのが当たり前だ。しかしその不安と引き替えに「自由」がある。それが隠居という生き方である。芭蕉は隠居後、金を持たずに旅をし続けた。それは「野ざらし」を覚悟の上の、生き方としての旅だった。地位も金も肩書きもない、何も持たない己れと向き合う、実に深淵な自由である。日本には、そういう老いかたの伝統がある。

私は、「安心な老後」など送りたくない。千年以上の文化が作り上げてきた深みを、崖っぷちから覗きたいのである。 <引用終わり>

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今回はいくつかの問題提起を箇条書きで並べてみたい。順不同である。

1.衰老落魄説話のヒロイン小町: 小町は奈良平安時代の貴族文化の担い手の中でさらに伝説の中のアイドル。貴族たちの生活の基盤は律令制の下での租庸調すなわち庶民の労働に支えられているものであった。この時代の社会は、武士による封建制支配へと移行する前の時代、すなわち貴族による奴隷制支配の社会構造である。貴族の生き方は寄生的であり生産に携わることがない。小町が貴族の零落した姿であったとしても、奴隷・庶民にまで堕ちたのではない。如何に辺縁に押しやられたとはいえ、貴族の集合の中の要素であり続けているのである。「地位も金も肩書きもない何も持たない己れ」ということとそれでも貴族であることとの間に明確な矛盾が存在している。

2.出家、その象徴としての西行: 奈良時代の国家事業としての仏教、平安貴族の栄耀栄華の持続を願う呪術事業としての仏教、この時代の中で僧侶といえども国家のお抱えであり、いわゆる国家公務員・官僚である。この社会制度のもとでは、僧侶であること自体、「地位も金も肩書きもない、何も持たない己れ」には成れないことを意味する。芭蕉の敬愛する西行、彼が武士を捨て妻や幼い子供を捨てて出家してもなお、「地位も金も肩書きもない何も持たない己れ」には成れないのである。西行は、世を捨てて仏教を選んだというよりもむしろ他の(すべてとはいわないまでも)非常に多くを捨てて芸術を選んだというべきであろう。実際、西行には豊かなサポートがありしっかり暮らしてゆくことができた。もし西行が武士を捨てた上にさらに本当に「地位も金も肩書きもない何も持たない己れ」になってしまえば(あり得ない仮定ではあるが)現実的に生活してゆくことの重みが両肩に重くのしかかり決して芸の道に生きることはできないのである。

3. 芭蕉: 江戸での俳諧の高名な師匠としての暮らしは、今でいうところの芸術大学のタレント教授のような持てはやされる暮らしであろうか。それら安定した暮らしの選択肢を捨て、晩年になっても病身となっても旅に生きる。TYさんの文章にあるように「芭蕉は隠居後、金を持たずに旅をし続けた」ことはほぼ事実かも知れない。が、各地にそれぞれ支援者の層が厚く、旅の姿は乞食のようであっても本当の乞食ではない。芭蕉が芸の道に生きることはそのまま封建制度下の米作り百姓に寄りかかって生きていることになる。「実に深淵な自由」ではあったかもしれないが、芸を売って米を買わねばならぬという意味で、百姓の生産労働に依存した範囲内での自由と考えねばならない。これは本当の自由と言えるのか。

4.  翻って、現代の筆者TYさんによる「末は小町をめざして」: 筆者は言う、「日本には、そういう老いかたの伝統がある。私は、「安心な老後」など送りたくない。千年以上の文化が作り上げてきた深みを、崖っぷちから覗きたいのである。」と。

「千年以上の文化が作り上げてきた深み」は、平安女流文学そして西行・宗祇・芭蕉に代表される文芸文化を意味されているのだろう。それら価値の高い文化を継承すべき私たちにとって「安心な老後」を否定して、それら古人の求めたものを求めて老いを過ごし死を迎えたいという主張には共鳴させられるものがある。

しかし、視点を変えて考えてみよう。 判然としないのは、「末は小町をめざして」の「小町」のイメージである。作者は同じ文章の中で、「この場合「小町」とは「卒塔婆小町」の意味で、老齢のホームレスの女性を言う」とわざわざことわっている。卒塔婆小町は能作者らによって作られていった衰老落魄説話として中世社会に広く語り継がれたという。しかし、現代に生きる筆者によって、老齢のホームレスの女性、その通りの意味で小町という言葉が使われているのか。どこかに捻れが隠れていないか。

庶民の中に紛れ込んでいることはあり得るかもしれないが、小町は貴族、それもたとえ過去の栄光とはいえ文芸界のアイドル・ヒロインである。筆者TYさんは、小町の所属する貴族・文芸を愛して生きる集合の中の一員として最期の自分を想定し、また、大学教授や知識人たちで構成される仲間たちに呼びかけているのではないだろうか。この零落小町を自分の老後に想定される危険の最悪レベルと想定している人が、「安心な老後」を否定したとしても、否定された末に残る最悪の「安心でない老後」はそれほど悲惨な老後ではない。すなわち、自分は衣食の生産に携わらなくとも衣食が他者から供給されるという十分に守られ依存した老後、そして普通の医療が受けられ人並みの利便生活が確保された老後、それぐらいは当たり前としている言論ではないか。であれば、ここに否定されている「安心な老後」というのは、大学教授や知識人たちいわゆる現代の貴族ともいえる人たちを基準とした贅沢な老後であり、現在の一般庶民が想定しなければならない「安心でない老後」を念頭に置いていないのではないか。

私は、「安心な老後」という言葉は、「贅沢な老後」とは違うと思う。より良い社会を作ってゆく上で決してなくしてはならないものとして、否定してはいけない形で使われるべき言葉だと思う。私は「安心な老後」としてたとえば以下のようなものを想定してみる:

a. 家族そして地域や社会の中で人とつながり、役割を担い果たしてゆくこと: 生産への参加

b. 衣食住と医療介護などが必要に応じて他者と等し並みに得られること: 生存の平等

c. 仲間たちや子孫たちが今よりも少しずつでも良い方向へと向かう社会を築いていくだろうと期待して生きていられる老後:  社会幸福の漸増

d. 私たちの積み重ねてきた価値あるものが仲間たちや子孫たちに価値あるものとして継承されると安心していられる老後:   文化・価値の継承

このような観点からは、戦争や原発事故による家族や地域社会ないし国や世界の突然の壊滅を想定することは、「安心な老後」の否定形の最たるものだと思う。

西行・宗祇・芭蕉のような芸術家は民族の歴史の中で、千年にひとりか二人の逸材である。他のすべてを捨ててその道一筋につながって芸を磨いてゆく「老いの伝統」というべきものがもしあったとしても、私たちにはその伝統を安易に模倣できるとは考えない方が良い。むしろ、地域のそして世界の人々とつながりながら安心な老後をひとりひとりが確かに得られるような、そんな社会を築くことを目指してゆくべきではなかろうか。実に平凡に聞こえるかもしれないが、私はそう思う。

2014年7月16日 水曜日

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追伸:

文章をそれ単独で読んで理解する立場から離れて考えてみるのも良いかもしれない。たとえば、どういう状況に生きている人が書き、それまではどのようにして生きてきたか、そして(過去の文章であれば)書いた人はその後どのように生きていったか、という歴史である。視点をさらに展開させて、その文章が読む人によってどのように受けとめられていったか、時代の流れによってそれがどのように変わっていったかなど、歴史的な視点から資料を集めてみると、また違った理解が可能かもしれない。いわゆるメタ解析である。いずれは「末は小町」のメタ解析を試みてみたいとも思った。

しかし、今は7月、夏の真っ盛り、農繁期。照りつける太陽を浴びながらの畑仕事で多くの時を過ごしている。私自身にとっても切実な課題ではあるものの、「安心な老後」に関するさまざまな発言や考察に関するメタ分析はまたいずれかの機会に。

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