literature & arts

Austen, Mansfield Park (2)

2017年3月2日 木曜日 曇り

午前中、タマネギ(札幌黄、札黄)のタネ蒔きを手伝う。コーティングされていて、扱いやすい。お土産にいただいた札幌黄を春に植えてネギボウズを咲かせ種を自家採種に供するようにアドバイスを受けた。貴重な在来種なので、今シーズンは自家採種も行ってみたいと思う。(2017年5月24日追記:補註 空知南部の広大なタマネギ畑では5月初旬に植え付けられたタマネギ苗がしっかり成長を始めているのが高速道路走行中の車窓からも分かる。私の畑のタマネギ苗は、比べると貧弱で、出出しの遅れを取り戻せるかどうか不安がある。大きなタマネギを植えた方は、今、ねぎ坊主が出てきているところ。しかし、考えてみると、ネギボウズからタネを採ることは容易であるが、翌年の3月にタネ蒔き遂行するためには(北海道では)保温ハウスが必要で、私の場合はそれを持たないため、折角の自家採種もタネの持ち腐れということになりはしないか? <以上、2017年5月24日追記・終わり>)

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補註 午後から、マンスフィールド・パーク。例によって、オーディオブックを聴きながら、ペンギン・クラシックスの紙の本(黒本)を片手に、人物が出てくると赤い下線、要注意点には緑の下線を引く。(線を引けている間は睡くならない。)

補註 エドワード・サイードがこのマンスフィールド・パークから多くを引用し、批評している。確かに、この作品には1814年当時そして今に至るまでのイギリス人ないしヨーロッパの人びとのものの見かた考え方が、その内部に通暁したオースティンの目から(そして作中登場人物の発話や思考を通して間接的に)大いに、そして率直に語られていて大変面白いのである。中東出身のサイード、あるいは極東・日出ずる国出身の私などは、大別して二通りの読み方が可能である。すなわち、1)作者オースティンにぴったり寄り添って内部からこの英国社会の小さなサークルに参加するような読み方、2)このサークルの価値観の外側に立って、このサークルをも包含するより大きな世界を見渡すような視点で考えること。1)と2)はそれぞれさらに細かい区分けが可能であるが、今は詳細を論じない。たとえば今はこういう視点のパースペクティブで見ているな、という具合に、私の頭の中でも幾層もの視点の推移や移動があって、それを見つめてみると実に面白いのである。

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Jane Austen, Mansfield Park, first published 1814; in Penguin Classics, 1996, 2003, 2014.

オーディオブック: Jane Austen, Mansfield Park, performed by Frances Barber, BBC Audiobooks, 2007. 14:48.

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2017年5月24日 水曜日 雨

E.M.フォースター 新訳・小説とは何か 米田一彦訳 現代小説作法シリーズの一冊 ダヴィッド社 1969年(オリジナルは1927年の春のケンブリッジでの連続講義を本にしたもの)

バートラム夫人というあの小さなユーモラスな人物ーー狆を抱いてソファーに腰かけているバートラム夫人ーーはこうした深遠な問題を考える助けになるでしょう。バートラム夫人は、筋に要求されると円球人物へとひろがりうる扁平人物です。われわれはそのように断定したのです。ミーチャは円球人物ですが、しかもひろがることができます。彼は何も隠しはしません(神秘的ではありません)。彼は何を意味するのでもありません(象徴的ではありません)。彼はただ単にドミトリ・カラマゾフなのです。しかしドストエフスキイの作品ではただ単に一個の人物であるということが、はるか背後に控えているすべての他の人間どもといっしょになることなのです。それなればこそあのおどろくべき流れが突然流れ出しますーーーわたくしにとっては<わたしはいい夢を見たんですよ、みなさん>というおわりの言葉の中で。わたくし自身もまたあのいい夢を見たのでしょうか? いや、そうではありません。ドストエフスキイの作中人物は、何かしら彼ら自身の経験よりも深遠なものを、われわれ読者が彼らとともにすることを要求します。(フォースター、同訳書、p164)

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by Cassandra Austen,drawing,1810
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