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第二次世界大戦とは何だったのか 戦争指導者たちの謀略と工作

2024年1月12日 曇り

渡辺惣樹 第二次世界大戦とは何だったのか 戦争指導者たちの謀略と工作 PHP研究所 2022年

 ・・ベルサイユ体制が発足した1919年からナチスドイツのポーランド侵攻までの20年間は、戦間期と呼ばれる時期である。この時期の太平洋方面のダイナミズムは、米海軍が日本を凌駕する海軍力をもち、いつか来る日本との戦いに備えた時期ともいえる。

 米国の日本への「意地悪」は時の経過とともに悪化した。・・・(中略)・・・ 先の戦争を理解するうえで、一般歴史書が最も軽視する時代がこの戦間期の20年である。・・この時期についての理解を深めることで、これに続く第二次世界大戦とその局地戦である日米戦争に対する理解が立体化する。(渡辺惣樹、同書、p70-71)

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第二次世界大戦を読み解く六つのファクター:

・・この時期(日米戦争に至る直近の時代)における歴史を読み解く重要なファクターは多いが、以下の六点はとくに注意が必要である。

一 ナチスドイツの経済政策の成功

二 不況を克服できない英国

三 英仏との戦いを避け、天敵である共産主義国家ソビエトとの戦いを考えていたヒトラー外交(東方への生存圏拡大政策)

四 二度とヨーロッパの戦いに干渉したくない(参戦したくない)米国民世論

五 米国の国家承認(1933年)を受けて飛躍的経済発展を始めたソビエト

六 三選(権力維持)へのフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)大統領の強い意欲

 留意すべきは、ナチスドイツのユダヤ人差別問題は戦間期においては歴史解釈のファクターではないことである。チャーチルもFDRもこの問題を主要外交テーマにしていない。(渡辺惣樹、同書、p100-101)

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・・・英語文献を読んでいると、人物評価が日本語文献と大きく違うことに驚かされることがある。その典型が近衛文麿かもしれない。近衛の評価は日本では概して芳しいものではない。評判が悪いのは、第一次近衛政権(1937年6月4日〜1939年1月5日)が世間の期待に背いたからである。・・・(中略)・・・

 ・・ところが、米国のとくにFDR外交を批判的に見る歴史書では、この時期の近衛の外交を問題視していない。むしろ当時のソビエト外交の狡猾さに驚きを示す。当時の日本外交の対中政策はきわめて自制的であったことが、中国出先の外交官から国務省本省に伝わっていたからである。盧溝橋事件はソビエトの工作によるとの分析がなされていた。(渡辺惣樹、同書、p141-142)

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