agriculture

シカの数を抑制する力を失ってしまった過疎化農山村

2017年8月26日 土曜日 晴れ

高槻政紀 シカ問題を考える バランスを崩した自然の行方 ヤマケイ新書 2015年

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シカ増加の背景

一九七〇年代から大きく変容した日本の農山村:
この変容は徐々にではなく、かなり不連続に変化し、伝統的農業形態をまったく異質なものに変えたといってよいほどのものであった。そして「限界集落」という言葉が生まれ、コミュニティーとしては成り立たない様相を呈するまでになってしまった。
 このことは当然、シカと農山村社会との力関係を変えた。ある閾値を超えた段階で、シカの増加ポテンシャルを抑制できなくなってしまったように思われる。そのことは農業人口の減少に伴うハンター人口の減少に代表されるが、実際にはシカにとっての生息地の変化のほうが大きな影響力を持ったと思う。・・結果としてシカが里山に引きつけられることになった。過疎化した農山村はそのシカの数を抑制する力を失ってしまった。およそ、こうしたことがーー場所により時間や程度の差こそあれーーこの二〇年ほどで進行したといえる。(高槻、同書、p173)

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・・農山村での人口減少と高齢化はシカを農地に接近しやすくし、密猟を含む狩猟圧が著しく弱くなった。明治時代の乱獲によって減少し、山地帯でひっそりと生き延びてきたシカは徐々に回復しはじめた。これが一九八〇年代であった。この頃、ハンター数が減り始めた。
 ここから先は私の推察になる。シカ集団のサイズと、ハンターが頭数を抑制できる機動力とが、どこかの時点でバランスを崩し、シカの増加が抑制できなくなったと思われる。それがおよそ一九九〇年代だった可能性が大きい。こうして山地帯でシカはタガがはずれたように増加するようになった。
 このとき、山地によっては人工林が広い面積を占めていた。人工林は食料が少ないから、一部のシカは低地の里山に侵入するようになった。里山では農地の除草(雑草の除去)(補註##参照)、雑木林の柴刈りが行われなくなったので、シカが接近しやすくなっていた。このことが「奥低里高」を生じさせたと思われる。(高槻、同書、p196-7)

補註## 農地の除草(雑草の除去)をむやみにやればかえってシカのエサを増やしてしまうことになる・・などなど詳細(ただし、実地の実践では重要)な注意点に関しては、昨日紹介した井上さんの本を参照下さい。

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 では都市生活者は本当に野生動物のことを理解し、被害の実態を知り、本気で問題解決を考え、実行してくれるだろうか。ましてや、自然植生が変化しているから問題だとして、何かの動きをとってくれるだろうか。とてもそうは思えない。都市生活者は自然から離れた生活をしている。何事もそうだが、身近でなければ実態が把握できない。シカによる農業問題も、自然植生や生態系への影響も、実感としてはまるで感じられず、ひとごとである。このままでは問題はさらに深刻になる可能性がある。
 今や都市住民が多数派になったことを考えれば、重大なのは都市住民がシカ問題に象徴される農山村における野生動物問題に関心をもつようになることだろう。つまり、かつて野生動物の問題は農山村が取り組んでいたが、今や社会全体が考えなければいけない問題になっているということである。(高槻、同書、p200-201)

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