2024年1月4日 木曜日 曇り
山本周五郎 おさん 新潮文庫(や−2-14)昭和45年(「その木戸を通って」オリジナルは昭和34年)
・・雨の降りしきる昏れがた、観音堂の縁側に腰をかけて、途方にくれていたふさの姿が、おぼろげに眼の裏へうかんできた。・・・(中略)・・・ 正四郎は芝生の端のところで立ち停まり、懐紙で顔を拭くと、梅林のほうを見まもった。
ーーー笹の道の、そこに木戸があって、・・・
ゆかは母がそっちへいったという。ふさはその木戸を通っていったのだろう、彼は現実にはないその木戸と、そこに立っている妻の姿が見えるように思えた。しかしふさは帰って来る、と彼は思った。こんどは良人があり、ゆかという子供がある、それを思いださないということはあるまい、いつかは必ず思いだして帰るだろう、ーーーこの木戸を通って。正四郎は片手をそっとさしのべた。
「みんながおまえを待っている、帰ってくれ、ふさ」彼はそこにいない妻に向かって囁いた。
「帰るまで待っているよ」
うしろのほうで、わらべ唄をうたうゆかの明るい声が聞こえた。
「その木戸を通って」(山本周五郎『おさん』p249-250)
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・・雨の降りしきる昏れがた、観音堂の縁側に腰をかけて、途方にくれていたふさの姿が、おぼろげに眼の裏へうかんできた。彼の顔がするどく歪み、喉へ嗚咽がこみあげた。彼はむせび泣いた。縁側へ出て行き、庭下駄をはいて歩きだしながらも、むせび泣いていた。
正四郎は芝生の端のところで立ち停まり、懐紙で顔を拭くと、梅林のほうを見まもった。
ーーー笹の道の、そこに木戸があって、・・・(山本、同書、再掲)
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