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陸軍の勝算: 帝国陸軍の科学的合理的で高度正確な認識を持っていた陸軍省戦争経済研究班=秋丸機関の真実は、GHQ支配下で歴史から抹殺された。

2022年12月31日 土曜日 曇り

林千勝 日米開戦 陸軍の勝算ーーー「秋丸機関」の最終報告書 祥伝社新書429 2015年

 ・・帝国陸軍が科学的・合理的であり高度で正確な認識を持っていたことは、日本を不当に侵略した米国にとって、不都合な真実です。戦後レジームにおけるレッテル「大東亜戦争は日本軍(陸軍)が、無謀な戦争へと暴走したもの」が成り立たなくなるからです。このため、・・「陸軍省戦争経済研究班(=秋丸機関)」の真実のストーリーは、戦後のGHQ支配下で完全に歴史から抹殺されました。真実を物語る一切の文書が没収され、真実を物語る一切の記録が削除されました。

 秋丸次朗を始め、生き残った軍人たちも、残念ながら、歴史の抹殺を図るこの新たな権力者たちの指示に従い、共犯者となってしまいました。(林、同書、p198)

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秋丸次朗の回顧録

 ・・戦争に負けたとはいえ、わが国と、帝国陸軍と、英霊と、そして国民を冒涜する大嘘にすり替える、恥ずかしい、愚かしい言辞となっています。・・帝国陸軍は、当時、絶対に英米との戦争を避けたかったのです。それでも、全面経済封鎖という万一の場合に備え、わが国に経済国力がないことを前提として対英米戦に向けての打開策の研究をするために、わが国の最高頭脳を集めた本格的シンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」を設立したのです。そして、集められた最高頭脳たちは、最終報告によってこの期待に応えたのです。最終報告の内容は、当然にして消極的和平論などではなく、対英米戦の勝利を目指したもので、後にわが国の国策として戦争戦略の基軸となったものでした。(林、同書、p209)

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 「英米合作経済抗戦力調査(其一)」の発見(同書、p210)  昭和六十三年・・、有沢広巳が「陸軍省戦争経済研究班」の英米班主査として取りまとめた結論報告書「英米合作経済抗戦力調査(其一)」が死後、有沢広巳の自宅で遺族によって発見され、他の著書や文献とともに東京大学経済学図書館に寄贈されたのです。  さあ、大変なことになりました。なにしろ、その存在が消されていた歴史の証言書が突然降って湧いたように出てきてしまったのです。「陸軍省戦争経済研究班」にかかわり戦後、進歩派で鳴らした学者たちを初めとして、戦後レジームを支える側、戦後レジームの利得者たちの側ではハチの巣をつついたような大騒ぎとなりました。(林、同書、p210-211)

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 歴史の真実を取り戻せ!

 戦後レジームの下で、自存自衛の大東亜戦争の「開戦」の決断は「日本軍(陸軍)の無謀な戦争への暴走」であった、と歴史が作り変えられてきました。  しかし、「陸軍省戦争経済研究班」に関する事実・経緯を直視し、真実のストーリーを取り戻すことにより、大東亜戦争の「開戦」の決断が、自存自衛の已むを得ざるものであり、かつ詳細な科学的研究に基づいた合理的戦略を策定した上での決断であったことが、具体的かつ鮮明に見えてきます。

 日本人は、家族を守るため、国を守るため、民族を守るため、そして、アジア諸国の独立を勝ち取るため、清く正しく、英知を尽くしてアメリカやイギリスによる侵略に立ち向かったのです。大義ある防衛戦であったからこそ、多くの国民が進んで勇敢に戦い、結果、二百数十万の兵士が戦場に散ったのです。(林、同書、p218)

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 ・・日本によって生み育てられたインドネシアの国民軍は、この後、オランダやイギリスとの独立戦争で大きな威力を発揮しました。八十万人の犠牲を出しながらも、インドネシアは、結局、この独立戦争に勝利を収めたのです。数千人の日本兵が現地に残留して、この独立戦争に参加しました。  独立後来日したスカルノ大統領は、インドネシア独立戦争に参加して戦死した日本人の英雄、市来龍夫(いちきたつお)、吉住留五郎両名の顕彰文を、涙を流しながら直筆で記し、・・記念碑として青松寺に建てたのです。記念碑にあるスカルノの言葉「独立は一民族のものならず 全人類のものなり」は、万人に感動を与えずにはいられません。  ・・日本が白人植民地主義の長い歴史を終わらせたことは、永い人類史の中でも特筆すべき画期的な偉業なのです。(林、同書、p221)

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