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中国的新仏教形成:慧思(えし)と末法思想

川勝義雄 中国的新仏教形成へのエネルギー (中国人の歴史意識 平凡社ライブラリー1400)

慧思(えし, 515年(延昌4年) – 577年(太建9年))と末法思想

エフタルの仏教破壊によって、西北インドで成立した末法思想が、そこからの渡来僧によって鄴都にもたらされた時期から、ほとんど間髪をいれずに、・・・慧思がその新思想を文章に残したということは、少なくとも慧思を含む一部の遊行僧のあいだに、末法思想に即座に共鳴し、これを吸収しうる素地が、すでに用意されていたからにほかならない。その驚くべき敏感な摂取は、むしろ逆に、時代に対するかれらの危機意識がいかに深刻であったかを示唆するものであろう。(川勝義雄 中国的新仏教形成へのエネルギー 中国人の歴史意識 平凡社ライブラリー1400、p248)

慧思のいだいた末法意識は、北魏末以来の華北の大動乱と、五四八年から爆発する梁末陳初の大動乱とに密接に関連する。社会のこのような激動こそ、慧思をして末法の世と痛感せしめた第一原因であり、そのような危機に直面しながら、仏教界の大勢は、従来どおりの高踏的な講説仏教の姿勢をとって、慧思の確信する新しい実践的な教説に耳をかたむけないばかりか、逆にこれを抹殺せんとしたことが、いよいよ末法意識を強めさせた第二の原因である。(同書、p256)

慧思において、人間性に共通する基底としての如来蔵=自性清浄心の確認と、それへの確乎たる信頼と、すべての人間をして同じ自覚に到達せしめんとする強烈な情熱と、そして、その確信と情熱にもとづくゆるぎない「我れ」の自覚と、に導いていった。それは、まさに新しい人間の確立であり、発見であったといってよいだろう。しかも、それがまた不可分に、末法意識とつながるがゆえに、逆に、このような新しい人間を生みだした当時の社会変動が、いかに深刻なものであったかを思わざるを得ないのである。(同書、p258-259)

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