catastrophe

数字と確率で実感する「フクシマ」

 

2015年1月17日 土曜日 雪(吹雪、12号線も一時ホワイトアウトで前が見えず江別の手前で引き返す)

鐸木さんのキンドル本 数字と確率で実感する「フクシマ」 読了。

第6のIF もし福島第一以外の原発で同じことが起きていたら: 復旧作業がまったくできず、なすすべなし(同書より引用)

4号機の奇跡: 第7のIF もし4号機の作業でミスをしていなかったら もし4号機の作業でバカなミスをしていなかったら: たまたま空っぽになって蓋も開けてあった4号機炉心に水が満たされていたため、それが地震で歪みができた隔壁を通して隣の燃料プールに流れ込んで冷却し続けられた。この想定外の「たまたま冷却」がなければ、4号機燃料プールの燃料が露出してしまい、1〜3号機以上の汚染が起きていた。つまり、作業ミスと設備の強度不足が日本を奇跡的に救った。(同書より引用)

「人間は今ある現実しか信じられないので、こうした仮定の話にはなかなか馴染めません。しかし、今、日本で多くの人たちがまがりなりにもフクシマ以前と同じような生活を営めているのは、本当に幸運に幸運が重なった結果に過ぎないのです。」(同書より)

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「フクシマ」は、「災害」ではなく「社会構造」の問題なのです。(同書より)

こうしていられるのも、あのとき、奇跡的な幸運に恵まれて、被害がこの程度で済んだからなのだ、ということを、日本人のほとんどは認識しないまま時間だけが経ってしまいました。・・・今生きている私たちを「再出発」させるために、多くの命や自然環境が犠牲になりました。なんの反省もなく、軌道を修正できないまま同じことを繰り返すのは、大きすぎる犠牲に対しての冒涜です。(同書あとがき2013年5月14日付けより)

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