culture & history

聖徳太子:当時、日本は国際的だった

2016年3月1日 火曜日 雪(吹雪)

小林惠子 聖徳太子の正体 英雄は海を渡ってやってきた 文藝春秋 1990年

斑鳩は直訳すれば、「斑(まだら)の鳩」ということになる。斑(まだら)の動物は拝火教で特に好まれる動物である。・・このように太子だけの問題ではなく、当時の日本を含めた世界は、我々が現在想像する以上に国際的だったのである。(小林、同書、p106-107)

・・・しかし蘇我一門としては何よりも国内の平和が大事。海を隔てた中国という巨大国はいわば宇宙の星のように関係ないもの。隋が唐に代わっても、要請に応じてハイハイと朝貢していればことがすむ。端的に言ってこういう結論ではなかったか。ここで、はっきりするのは太子は在地勢力である蘇我一門の同意なくしては海外出兵が出来なかったという事実である。外国から渡来した王なるがゆえに、経済的基盤が弱く、在地兵力の動員力がなかったということである。突厥のような遊牧民は機動力を持って移動している時が強いのであって、定着してしまうと、ただの農民になってしまうのだろうか。 太子にとっての理想である十七条憲法における帝王とは、現実はほど遠かったのである。 有名な太子の言葉、「世間(よのなか)は虚仮(むな)し。唯仏のみ是れ真(まこと)なり」は、この頃の政治家太子の実感であり、決して仏教徒ゆえの悟りの言葉ではなかったのである。(小林、同書、p184)

*****

**********

RELATED POST