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フライデーカジュアル

 

石津謙介さんとフライデーカジュアル

2005年6月3日

先週、石津さんが亡くなった、という報をNHKの朝のニュースで聞いた。93歳。もっともっと長生きしてもらいたかったのに、残念だ。私は、石津さんのファンで、このオフィスにも石津さんの本を何冊も置いている。同じ岡山県出身の大先輩として、内田百先生と石津謙介さんの文章は、日頃楽しみにして親しんで来た。百先生は芥川の友達世代で、私の生まれる頃には亡くなって、もちろん面識のあろうはずもない。が、石津さんには、もう少し、ないし、もっとずっと長生きしてくれていたら、個人的にお会いして親交を深めるチャンスもあるのではないかと楽しみにしていた、そんなファンだったのである。1911年生まれということで、私とは二世代ほども年齢差があるが、最近の石津さんのエッセイなど読ませてもらっても、昔の人、という感じなどどこにもなく、同時代を生きる先輩、といった親しみを感じるのである

この6月(2005年)からは、夏期間、省エネのため、ノーネクタイとノージャケットで過ごそう、というキャンペーンが始まっている。昨夜はテレビで、小泉さん(元首相)と岡田さん(元民主党党首)が靖国参拝を巡って国会で議論している姿が報道されていたが、小泉首相はノーネクタイ、岡田さんはネクタイはしているものの、二人ともジャケットなしであり、一見して気づかれるほどの珍しい国会風景であった。NHKなどの解説を聴くと、このキャンペーン、冷房を28度に抑えよう、という省エネルギー対策が一番の骨子のようだ。東京で28度の冷房では、確かにネクタイはしていられない。ここ札幌では、気温が25度を超えるような夏日は7、8月でも数えるほどしかおとずれない。よって、28度の冷房など考えたことがなかった。冷房のスイッチを調べてみたら、確かに28度設定は可能である。18度から30度までの範囲で調節可能だ。私も早速、冷房28度にしてみた。注意すべきことは、札幌で「冷暖自動」の設定になっていると、28度では、ひょっとして普通は暖房になってしまうかもしれないことだ。しかし、何故か、私のオフィスは「冷暖自動」では27度が最高の設定温度である。ちなみに、暖房の設定は最高26度と、さらに低く、冬場は私のオフィスはかなり冷え込んでつらいことがある。(天井に取り付けてあるエアコンの出口付近の温度計でスイッチが調整されているとのことで、実際の生活空間の室温はぐっと冷えている。)

S大では大学の法人化を2年後に控え、私も、定款作りをはじめとして、多くの会議に参加している。昨日は、6月に入ってから初めての会議だったので、皆さん、どういう服装でいらっしゃるか、楽しみだったが、ノーネクタイは私のほかには、事務局の若手の方、お一人だけ。ただ、事務局の皆さんはT課長をはじめ、皆さんノージャケットで、違った雰囲気でどことなく新鮮である。対照的に、教授の方々は、ネクタイとジャケット、あるいはネクタイに白衣を羽織ってといういつも通りのスタイルのままであり、衣替えの雰囲気はない。世俗のキャンペーンに影響されているように見受けられるのは私ぐらいかもしれない。もっとも、私の場合、今回のキャンペーンを遡ること15年ほど前から、似たようなファッションだったので、私が世間に迎合したというよりも、世の中の動きを示す直線と、私の直線とが、たまたま今回、平面上の一点で交わったに過ぎず、今後は、再び世間から大きくずれてしまって2度と交わることはない、のかもしれない。

私も若い頃は「質実剛健」「弊衣破帽の心意気*」でやってきていたのだが、最近では服装や生き方のスタイルに関して、少しおしゃれをしなければいけないと考えている。もう十分泥まみれ(1リットル培養のK12株のペレットは本物の泥のように見える)になって働いてきて年取ってきたという思いもある。特に、20歳ほども歳の差のある学生たちを指揮する立場となったために、彼らが20年後の自分を重ね合わせて私の姿を見たときに、「あんなふうにはなりたくないものだ」と蔑んで見られるのでなく、20年後には「自分も(最低でも)あんなふうになれているだろう」とある程度の好感をもって見られる程度の線は確保したい。研究室全体の成功を目的として、部員全体のモラールを高めるべく細部にわたって鋭意努力の義務があると考えている。で、私なりのおしゃれは、どんなものか? ―――といって文章にするよりも、日頃の私を観察してみてもらいたい。が、タネを明かせば、お師匠さん、アドバイザーのひとりがこの石津さんである。明治生まれの年寄りなんか師匠にしてどうする、という批判も聞こえてきそうだが、こんなに長生きしてて、こんなに元気にアドバイスしてくれる、ということだけでも、私はすっかり敬服・心酔していたのである。

さて、フライデーカジュアルについて。「会社で働いておかしくなく、客の応接で失礼に当たらず、会社帰りにバーへ立ち寄っても堅苦しくないというのが、週末に会社へ行く服の本来の形**」とのこと。しかし、官公庁やサービス系の会社などとは違って、私たちの研究室は、汗まみれ、泥まみれ、(望ましくはないが、ラットの手術などが失敗したときには)血まみれ、になって働く場所である。知的な「製造業」に分類される職場である。だから、ネクタイなどはじゃま。フライデーカジュアルと言っても、ぴんと来ないほど、日々の服装はラフ。「行き過ぎたドレスダウン***」が徹底している職場である。そこで、石津さんからの提案***: <最近は日本でも、ぼつぼつ「行き過ぎのカジュアル」が目立ち始めてきました。ですからここで少々逆戻りして、「気軽なドレスアップ」を考えようではないかということなのです。 至極都会的な「カジュアル・センス」、すなわち、自分自身で考えた、自由で、そして気楽な「フライデー・ドレスアップ」に身を包んだジェントルマンが、とてもさわやかに、それとなくオフィスや街頭に現れる―――というのが「新しいファッション」ではないでしょうか。>(石津謙介「悠貧ダンディズム 男はいくつになっても不良少年」53ページ 経済界) 上記をふまえての部員の皆さんへ私からの提案: 時には、少しだけ気軽におしゃれしてラボで仕事しよう。そして時には、自由に気楽にドレスアップして、街にも(冬ならスキー場にも)出かけよう。
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注: 以下の単行本からの引用です。

* 「弊衣破帽の心意気」 石津謙介 悠貧ダンディズム、経済界、1998年。

** 「フライデー・カジュアルの試み」 石津謙介 「変えない」生き方、毎日新聞社、2001年。

***「フライデーカジュアルの定義」 石津謙介 悠貧ダンディズム、同上。

* 内田百(うちだ ひゃっけん)先生の「」の字(もんがまえに月)は機種によっては文字化けする場合があります。

<以上、2005年6月3日付けWEBサイトより再掲>

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