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真珠湾攻撃を裁可した永野修身軍令部総長の闇

2022年12月16日 金曜日 雪(朝の気温マイナス7℃)

林千勝 近衛文麿 野望と挫折 WAC 2017年

林千勝 チャンネル桜・大学 講座「林千勝のこれが本当の近現代史」https://sakura-daigaku.jp/kouza/ 

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亡国の真珠湾攻撃

 ・・真珠湾攻撃は「腹案」と根本的に矛盾するのです。(林、同書、p226)

 ・・すなわち、山本が辞任しないようにするためだけに、永野は亡国につながる真珠湾攻撃を裁可したという証言を後世に残したのです。国益にかなう合理的な理由はなかったと言っているのです。永野は暗に「口にできない理由があった」と述べているのです。  真珠湾攻撃を裁可した永野の背後にはまさに闇があると言わざるをえません。(林、同書、p229)

 ・・ヒトラーひきいるドイツ軍は、実質上大西洋でアメリカ海軍の艦船から攻撃をうけていなしたが、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んで百パーセント自重していたのです。  この真珠湾攻撃が亡国の道であることは、豊富な情報ネットワークをもっていて米国事情に詳しい近衛は熟知していたと思われます。近衛と山本はしばしば密に情報交換をしていました。十六年九月十二日にも近衛は山本と秘密裏に会っています。真珠湾をやった場合、超大国アメリカを本気で立ちあがらせてしまうのですから、結局は日本に勝ち目がないと山本も認識していたでしょう。最初の一年や一年半はともかくそれ以降は見こみがないうことを山本は近衛に正確に伝えていました。・・・(中略)・・・ 風見と山本もきわめて親密な仲でした。・・山本から風見への手紙は風見自身が終戦後すぐにすべてを焼却しています。(林、同書、p230-231)

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