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水田はその維持が極めて困難なシステム: 水田稲作の広まりを押しとどめた力

2024年1月27日 土曜日 曇り時々陽射し

佐藤洋一郎 稲の日本史 角川選書 平成14年(2002年)

生態系と遷移

 ・・水田稲作の広まりにこのように長い時間を要したのは、その広まりに対する相当に根強い抵抗があったからである。一番の抵抗勢力はやはり生態系に働く自然の力であった。生態系は「水田」を必ずしも受け入れはしない。水田稲作は環境に優しいなどというが、それは大規模な畑作や熱帯での収奪的なプランテーションに比べた場合のことで、とくに現在の日本の水田稲作は決して環境に「優しい」といえるようなものではない。(中略)  日本列島では植物が切り払われてできた土地は、多くの場合すぐ草だらけになり、やがては森に戻ってゆく。生態系におけるこうした植生の変化を遷移という。遷移の終点が極相といわれる状態で、普通は深い森になる。(中略) 遷移のプロセスを中断させ、あるいは極相の状態にあった生態系を裸地や草地にする作用を攪乱という。攪乱には、火山の爆発、山火事、洪水など自然環境によるものと、伐採、定住、耕作などヒトの行為によるものとがある。生態系での植生の変化は、遷移と攪乱という相反する二つの力によって起きている。(佐藤洋一郎、同書、p163-164)

水田の維持は大事業

 ・・さて、こうした一連の作業(補註:耕作という行為)であるが、太古の人びとにとってはひとつひとつが大変である。(中略)まず肥料まき。(中略)耕作を続けることで地力は確実に落ちたはずである。「知力の低下→収量の減退」という必然的な流れに、人びとはどう対処したのだろうか。(中略)次に除草。(中略)雑草は、取れども取れども耕地の中で増え続けるのである。雑草の害に追い討ちをかけるのが病気や害虫による被害である。(中略)  水田という、イネだけが生存する生態系を長期にわたって持続させ収穫をあげるには、莫大な量のエネルギーを必要とする。(中略) いわば丸腰の時代の人びとには、水田はその維持が極めて困難なシステムであった。近世以降の農民が這いつくばるように草を取り、病気や害虫の駆除法を発明し、せっせと肥料を田に運んだのも、そうしなければ収穫の増加はおろか水田そのものの維持が危うかったからである。その意味で、もしそのころの水田が環境に優しかったというならば、そこを耕し維持する人びとにとってはずいぶん過酷な存在であったに違いない。

 こうしてみると、・・焼畑における休耕はまことに理にかなった農法だということがあらためて理解できる。肥料分が切れ雑草が増え、さらに病気や害虫が発生するようになった田は放棄し、別の新しいところを田に開く。そのほうがより楽に、より安全に、収穫が約束される。少なくとも開くべき土地が潤沢な間はそうであったに違いないのである。(佐藤洋一郎、同書、p166-167)

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