biography

おれは礼儀正しく自己の権利を主張する正義漢よりも、傷つき汚れ、思い戸惑う弱い人間の方が好きだ。

2023年3月19日 日曜日 晴れ・暖かい快晴日和

木村久邇典 人間 山本周五郎 講談社 昭和43年

 ・・「どっちを見ても暗い、なんにも見えない、まっ暗な壁にとり囲まれたようだ」「重いな、重すぎる」「おれには背負いきれない、逃げ出してしまおうか」

 山本さんの声が聞こえた。それは三浦主人正や原田甲斐や由比正雪や田沼意次や、そして中藤冲也が、しばしば苦しげにうめいた言葉である。それは同時にかぎりなく孤独だった山本さんの生涯についてまわったひとりごとだった。だが、山本さんはついに逃げ出さなかった。いまわの際まで自分に見切りをつけなかった。

 「久邇典(くにのり)、お前にも、かならずこの世が耐えがたいほど重いものに感じられる日がきっとくる。そんなときでも、ひとは、じっと耐えて、生きていかなければならないのだ」山本先生のかなしそうな声が続いた、「人間は弱い生き物だ。おれは礼儀正しく自己の権利を主張する正義漢よりも、傷つき汚れ、思い戸惑う弱い人間のほうがすきだ。だがなあ久邇典、お前のなやんでいるのをみると、おれのほうがつらいんだよ」

 坂をおりていくひつぎを見送るように、たくさんの花輪も立ち並んでいた。花輪に下げられている寄贈者の名札は、出棺前に全部はずされてあった。会葬者の誰かが「山本さんの葬式らしいな」とつぶやいた。

 神はなぜ、せめて『おごそかな渇き』の完成まで、山本さんに生命を貸してくれようとはしなかったのだろうか。神にとっては、文学ひとすじ精進うむところを知らなかった山本さんが、もう必要ではなかったのだろうか。もしそれが、神の摂理というものならば、摂理はあまりにも非情すぎる。(木村、同書、p217-218)

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以下、ウィキペディアによると・・・

『随筆 小説の効用』(中央大学出版部)の解題で周五郎の文学観を次のように代弁している。「十年ほどまえ、一部の評論家からは、〝大衆文学芸術派〟などと、一種の敬遠とも受けとれる呼称で別格扱いにもされたが、著者は実作ひとすじによって、ぬき難い偏見の所有者たちをも説得しつづけてきた。著者においては文学には〝純〟も〝不純〟もなく〝大衆〟も〝少数〟もない。最大多数の庶民の側に立つよりよい文学の創造以外にはないのである」。ただし、周五郎は『中島健蔵氏に問う―自省と批判―』で「最大多数の読者」とは書いているものの、木村が書くように「最大多数の庶民」とは書いていない。(<以上、ウィキペディアより引用終わり>)

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 ・・それほどの重労働を承知の上で、『さぶ』につづいて間もなく『ながい坂』にかかり、この長編を終えて、インターバルらしい期間も十分におかずに『おごそかな渇き』に着手したのである。累積されたあらゆる疲労が情け容赦なくこの勤勉無比の作者におそいかかったのだった。(木村、同書、p212)

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