culture & history

「忍びざるの心」すなわち他人の不幸をそのままで見すごすことのできない同情心

2016年1月6日 水曜日

金谷治 孟子 岩波新書 1966年

中国でも日本でも、何人かのきわだった孟子ぎらいの人びとがいる。その人たちが理由としてあげるところをみると、要するに、君主を貴ばないとか革命を是認するとかの、いわゆる危険思想が一つの重点となっている。・・・孟子に対するこうした非難から、われわれは逆に当時の専制体制のきびしさと、それに対する孟子の進歩的な思想とをうかがってよいであろう。(金谷、同書、p6)

孟子のまじめな人道主義的立場・・・そこにこそ、かれの理想の中心はあった。「忍びざるの心」すなわち他人の不幸をそのままで見すごすことのできない同情心、それが万事の根本である。いわゆる王道政治の根幹である。・・・(中略)・・・すべての民衆に恒産を得させることを、孟子は念願したのである。その理想は正しい。そして、その問題は、今日といえどもなお残されている。儒教が、封建体制をささえるイデオロギーとしての性格を持ちながら、他面ではまた極端な専制主義におちいることをひきとめて、あるていどの合理的な統治を可能にさせてきたのは、この人道主義的な立場によるものであった。(金谷、同書、p5)

王道の根幹である「忍びざるの心」こそすなわち仁心である。孟子は、それがだれの心にも生まれつきに備わっていることを強調した。いわゆる性善説である。(金谷、同書、p7)

*****

**********

RELATED POST