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残梅:冰雪の儗ること嚴しき地に 力めて春の囘るを斡む

2016年4月8日 金曜日 晴れ(雲多め)

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p15

冰雪の儗ること嚴しき地に
力めて春の囘るを斡むる

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陸游

落梅(陸游、六八歳の作)

醉折殘梅一兩枝,不妨桃李自逢時。向來冰雪嚴凝地,力斡春回竟是誰。

訓み下しは一海、同書、p15より

醉折殘梅(補注1)一兩枝;
醉(よ)うて殘梅(ざんばい)の 一兩枝(いちりょうし補注2)を折(お)る
不妨桃李自逢時;
桃李(とうり)の 自(みずか)ら時(とき)に逢(あ)うを妨(さまた)げず
向來冰雪儗嚴地;
向來(きょうらい) 冰雪(ひょうせつ)の 儗(こ)ること嚴(きび)しき地(ち)に
力斡春囘竟是誰;
力(つと)めて春(はる)の囘(かえ)るを斡(すす)むるは、 竟(つい)に是(こ)れ誰(だれ)ぞ

補注1 一海本では落梅。WEBでは残梅となっているものが多かった。私の梅のイメージ感覚からいうと、梅の花片は樹に咲き残るイメージが強いので、「残梅」の方が季節感ある表現に感じられる。ここでは、残梅に軍配をあげたい。
WEB字書で「落梅」を引くと、らく‐ばい【落梅】散り落ちた梅の花、または実。となっている。・・私としてはやはり残梅を採りたいところ。
補注2 一海本では振仮名が振られていない。WEBでは一両枝を「いちりょうえだ」と訓じているものがあったが、本サイトでは重箱読みを避けるべく、一両枝を「いちりょうし」と訓んでみた。「一両(ひとつふたつ)の枝(えだ)を折る」と訓読した方がこなれているようにも思う。

注 向來(きょうらい) かねてからそうなのだが(一海、同書、p16)

注 
向來冰雪儗嚴地;
力斡春囘竟是誰;
氷や雪のきびしくはりつめたこの大地に、花咲く春をよみがえらせようとけなげに努力しているのは、結局は誰なのか。桃でもない。すももでもない。梅ではないか。(訳は一海、同書、p16)(補注3参照)

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落梅 二首のその一、その二

落梅二首 其二(宋·陸游)http://sou-yun.com/Query.aspx?type=poem&id=152604&lang=t より
  七言絕句 押支韻
醉折殘梅一兩枝,不妨桃李自逢時。向來冰雪嚴凝地,力斡春回竟是誰。

落梅二首 其一(宋·陸游)
  七言絕句 押先韻
雪虐風饕愈凜然,花中氣節最高堅。過時自合飄零去,恥向東君更乞憐。

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補注3 無粋な現実の話で恐縮であるが、北海道では梅は5月初旬、桜と同じ時期ないし若干遅れ気味な時期に花開く。これは、私が冬極寒の北国にやって来てから不思議に思うことのひとつである。たとえばソメイヨシノの開花時期は春になって地温(ちおん)が10度になった頃に一斉に花開くという。梅の場合は地温依存ではなさそうである。果たして何を感じて花開く時期を調整しているのであろうか。
 北国では桃やスモモの開花に梅がそれほど先んじているともいえない。せいぜい一週間程度の先行開花である。つまり、梅が「力(つと)めて春(はる)の囘(かえ)るを斡(すす)めている」、その頑張りが極寒の地では大きな結果につながらず、ほとんど数日の先行にとどまる。梅が多少スタートで先行しても開花までに大差をつけられず、結果逃げ切れなくなっているのである。春になってしまえば、その温かさの進み方が余りに速いので、百花繚乱状態となり、梅も桜もどんどん季節に追い越されていってしまう。つまり、北海道の梅は一遍に咲いてすぐに終わってしまう。見頃の週末は一週だけ。こんな咲き方の梅を想定したのでは、じっと寒さに堪えて高貴に匂う梅の花のイメージ、万葉の歌人や陸游の残梅(落梅)其の二の念いは伝わらない。ここでは、西日本や東日本太平洋寄りの梅を思い浮かべることにしたい。

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補注
WEBサイトより引用 「四季雑木林 雪花風月 雪ー2, 2015 梅花独暄妍・暗香浮動月黄昏」http://www.geocities.jp/enjoyzhongguo/sikiore-ume2.htm

 中国で生涯誰よりも多数の梅花の詩に詠んだ詩人は陸游である。

 まだ春には早い厳しい寒風の中で花を咲かせる梅花は、逆境に耐える人生を象徴する花とされた。その傾向は宋代以降にとくに顕著となる。南宋の代表詩人陸游は、その長い不運の生涯において、数多くの梅花詩を詠んでいる。

 陸游 (1125-1210) は、号を放翁といい、いまの紹興市を故郷とする。時の宰相秦檜に阻まれて進士に及第せず、一生を不遇のうちに終えた。北方の金国に対する政府の軟弱外交を批判して、憂国抗戦詩人としても知られる。

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