2016年4月8日 金曜日 晴れ(雲多め)
一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p15
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陸游(七八歳の作)
梅花絶句
梅花絶句六首 其三 梅花 絶句六首 其の三
聞道梅花坼暁風 聞くならく 梅花は 暁(あかつき)の風に坼(ひら)くと
雪堆遍満四山中 雪のごとく堆(うず)たかく 遍(あまね)く 四(よ)もの山の中(うち)に満つ
何方可化身千億 何(なに)の方(すべ)もてか 身を千億に化(わ)け
一樹梅前一放翁 一樹の梅前(ばいぜん)に 一放翁(いちほうおう)たる可(べ)き
梅の花は、明け方の風にふれて一斉に花ひらく、という。その白い花々は、降りつもった雪にも似て、四方(よも)の山にみちみちる。何とかして、この体を千億の分身にわけ、ひとつひとつの梅の樹の前に、一人ずつこの放翁を坐らせる、そんな方(すべ)はないものか。
「身を千億にわけ」るという発想は、唐の柳宗元(七七三-八一九)の七言絶句「浩初(こうしょ)上人(しょうにん)とともに山を看て京華の親故に寄す」にもとづく。しかし「一樹の梅前 一放翁」(梅前を梅花とするテキストもある)というのは、陸游の独創であり、無数の梅の樹の一本一本の前に、同じ老人がちょこなんと坐っている図は、空想するだけで楽しい。(以上、一海、同書、p16-17より引用)
補注: 梅前か梅花かに関する推敲 ーー化身千億
「一樹の梅前 一放翁」ーーー梅前を梅花とするテキストもある、とのこと。梅花としてももちろん梅の一樹一樹のことを指すので意味は変わらない。
ところで、千億の分身を擁すれば、梅花の花片ひとつひとつにまで、ミツバチサイズで派遣することも楽しいであろう。法華経の仏のように無数の陸游翁ミツバチが梅の花、その花片のひとつひとつに名前までつけて固有名詞で呼びかけ、愛でている微視的かつ宇宙的な曼荼羅世界を想像してみる。ただし、現実の花は風景にとどまらず、ミツバチにとっては果樹園芸栽培の圃場ではないか。ミツバチは遊んでいるのではなく、農に携わっているのでもある。これだと梅の花と実のためを思って花粉集めの傍ら受粉作業もせねばならず、巣でお腹をすかせて待っている子バチ(幼虫)のための蜜集めも手伝わないと申し訳ない状況となってしまい、なにやらえらくブンブン忙しい。2月の凍える寒さの中では仕事中の遭難も懸念され、辛いお仕事となってしまうかもしれない。
ーーなどと思考実験の末、やはりミツバチサイズに分身するのは遠慮することとした。推敲の末、陸游翁は、やはり人のサイズで、一樹一樹それぞれの梅前ないし梅花のそばに悠然とたたずんでいる風情が一番心地よい。
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補注 一海本では六首の中の其の三が紹介されている。他の五首に関しても、将来きっと読んでみよう。
探春歳歳在天涯 春を探るは歳歳天涯に在り
酔裏題詩字半斜 酔裏(すいり )詩を題すれば字は半ば斜めなり
今日渓頭還小飲 今日(こんにち)渓頭(けいとう)に還(ま) た小飲
冷官不禁看梅花 冷官 禁ぜず梅花を看るを
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