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来たるも亦た一布衣(ふい)去るも亦た一布衣

2016年4月20日 水曜日

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

以下、訓読はすべて一海、同書、p62-66、p69より。

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戯題関門 岑参  戯(たわむ)れに関門(かんもん)に題(だい)す 岑参(しんじん)

来亦一布衣   来たるも亦た一布衣(ふい)

去亦一布衣   去るも亦た一布衣

羞見関城吏   羞(は)ずらくは関城の吏を見んことを

還従旧路帰   還(ま)た旧路より帰れり

一海さんの注:
「布衣」とは、木綿の着物、それを着た人、無官の庶民である。岑参が科挙の試験に合格したのは、三十歳のときであり、この詩はそれ以前の経験をうたうのかも知れない。

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落第長安(唐·常建)
家園好在尚留秦,耻作明時失路人。恐逢故里鶯花笑,且向長安度一春。

家園は好在(こうざい)なるも 尚お秦(しん)に留(とど)まり,
明時 路を失いし人と作(な)れるを耻(は)ず。
恐らくは故里の鶯花(おうか)の笑いに逢わん,
且(しばら)く長安に向(お)いて一春を度(すご)さん。

一海さんの注:
秦はみやこ長安の別名。
花の咲くのを、「笑う」という。
「向」は、「在」とほぼ同じ前置詞。
当時の知識人にとって、「落第」は失路を意味したのである。(一海、同書、p63)

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李廓 《落第》
榜前潛制淚,眾里自嫌身。氣味如中酒,情懷似別人。
暖風張樂席,晴日看花塵。盡是添愁處,深居乞過春。

榜前(ぼうぜん) 潛(ひそ)かに淚を制す,
眾里(しゅうり) 自(みずか)ら身を嫌(いと)う。
氣味 酒に中(あた)れるが如く,
情懷 別人に似たり。
暖風 樂席を張り,
晴日 花塵(かじん)を看る。
盡(ことごと)く是れ愁いを添うる處,
深く居りて 春を過ごさんと乞(こ)う。

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再下第  唐・孟郊

一夕九起嗟,
夢短不到家。
兩度長安陌,
空將涙見花。

一夕(いっせき) 九たび起きて 嗟(なげ)く,
夢は短くして 家にいたらず。
兩(ふたたび)度(わた)る 長安の陌(みち),
空(むな)しく涙を將(もつ)て花を見る。

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登科後  唐・孟郊

昔日齷齪不足誇,
今朝放蕩思無涯。
春風得意馬蹄疾,
一日看盡長安花。

昔日 齷齪(あくせく)として 誇るに足らず,
今朝 放蕩(ほうとう)して 思い涯(はて)なし。
春風 意を得て 馬蹄疾(はや)く,
一日看(み)盡(つ)くす 長安の花。

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補注  岑参 しんじん
Cen Shen [生]開元3(715) [没]大暦5(770)
中国,盛唐の詩人。荊州江陵 (湖北省) の人。天宝3 (744) 年進士に及第,安西節度使高仙芝 (こうせんし) の掌書記をはじめ,しばしば西北辺境地域の官についた。安禄山の乱のため,至徳1 (756) 年中央に帰り,殿中侍御史,起居舎人,庫部郎中などを経て嘉州 (四川省楽山県) の刺史に任じられたが,任期満了後都へ帰る途中,成都の旅舎で病没した。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より。

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補注 常建 ウィキペディアによると・・・
常健(じょう けん)は、中国・唐の詩人。長安の人と伝えられるが、詳細不明。
開元15年(727年)の進士で、盱眙(くい、安徽省)の尉となったが、昇進が遅いのに不満を持ち、隠者の生活に憧れて、名山を歩き回った。あるとき山中で仙人のような女に会い、術を授かったと言われ、晩年は鄂渚(がくしょ、湖北省武漢市の西)に隠棲し、王昌齢らを招いて、自由な生活を送った。
送宇文六      宇文六(うぶんりく)を送る
花映垂楊漢水清 花は垂楊(すいよう)に映じて漢水清く
微風林裏一枝軽 微風 林裏(りんり) 一枝(いっし)軽し
即今江北還如此 即今(そくこん) 江北(こうほく) 還(ま)た此(かく)の如からん
愁殺江南離別情 愁殺(しゅうさつ)す 江南(こうなん) 離別の情
(訓読はウィキペディアより)

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