literature & arts

この情 追憶を成すを待つべけんや

2016年7月11日 月曜日 曇り

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

錦瑟 李商隱

錦瑟無端五十弦,
一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶,
望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙,
藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶,
只是當時已惘然。

原文は碇豊長さんのサイトより http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/rs342.htm

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この情 追憶を成すを 待つべけんや
只だ是れ 當時より  已に惘然(ばうぜん)たり

「この情」とは、いうまでもなく若かりし日々を思い、あやしくゆれる感情の意である。それは、追憶という形をとるからこそ、かくもあやしくゆれるのであろうか。いや、そうではない。それを「待つべけんや」、待つまでもない。「只だ是れ当時すでに惘然(ばうぜん)たり」、あの当時、すでにぼうぜんとした、夢見心地の経験だったにすぎないのだ。  詩全体が、胡蝶夢のごとき作品である。  だが李商隠は西洋の詩人ではない。中国の詩人である。象徴めかしたこの詩にも、政治的寓意があるのかも知れない。ことに李商隠は、政界の派閥争いに翻弄され、挫折した詩人であった。この詩の政治的寓意をめぐって、過去の中国にさまざまな論争があった。(一海、同書、p266-267)

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