literature & arts

橫屍無以葬の現状を訴える

2016年7月11日 月曜日 曇り

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

橫屍無以葬 現状をリアルに訴えるだけでも当時としては精一杯の抵抗であった

梅堯臣《田家語ーーー農民のことば》(五言長詩):

聖俞作《田家》詩雲:「誰道田家樂?春稅秋未足,裏胥叩我門,日夕苦煎促。盛夏流潦多,白水高於屋。水既害我菽,蝗又食我粟。前月詔書來,生齒復版錄。三丁籍一壯,惡使操弓韣。州符令又嚴,老吏持鞭撲。搜索稚與艾,唯存跛無目。田閭敢怨嗟,父子各悲哭。南畝焉可事,買箭賣牛犢。愁氣變久雨,鐺缶空無粥。盲跛不能耕,死亡在遲速。我聞誠所慚,徒爾叨君祿。卻詠歸去來,刈薪向深谷。」

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我聞誠所慚,徒爾叨君祿。卻詠歸去來,刈薪向深谷

我 聞きて 誠に慚(は)ずるところ,
徒爾(とじ)として 君祿を叨(むさぼ)る。
卻(かえ)って歸去來を詠じ,
薪(たきぎ)を刈りて 深谷に向かわん

私はそれを聞いて、まことに恥ずかしい思いをした。徒爾(とじ)、いたずらに、無駄に、おかみの禄をむさぼっているのではないかと。  いっそのこと陶淵明の帰田の歌「帰去来の辞」をくちずさみつつ、奥深い谷に分け入って、木こりになってしまいたい。  一小県の知事とはいえ、行政の担当者としては無責任な言い草だが、権力の壁はあまりにも厚く、現状をリアルに訴えるだけでも、当時としては精一杯の抵抗であった。(一海、同書、p283-284)

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梅堯臣の眼に映じた農民の悲劇は、枚挙にいとまがなかった。汝墳(じょふん)の貧女ーーー汝水(河南省中部を流れる川)の墳(つつみ)(じょふん)、そのほとりに住む貧しい娘、と題する詩では、次のようにうたっている。(一海、同書、p284)

《汝墳(じょふん)の貧女》 梅堯臣
汝墳貧家女,行哭音淒愴。
自言有老父,孤獨無丁壯。
郡吏來何暴,官家不敢抗。
督遣勿稽留,龍鐘去攜杖。
勤勤囑四鄰,幸願相依傍。
適聞閭裡歸,問訊疑猶強。
果然寒雨中,僵死壤河上。
弱質無以托,橫屍無以葬。
生女不如男,雖存何所當。
拊膺呼蒼天,生死將奈向。

膺(むね)を拊(う)ちて 蒼天(そうてん)に呼(さけ)ぶ,
生死 將(まさ)に奈向(いか)んせん

胸をたたいて、天に向かってさけぶ。「生きている私も死んだ父も、これからいったいどうすればよいのでしょう」と。作者(梅堯臣)はこの詩に自ら注して、次のようにいう、「時に再び弓手(兵士)を点(呼)して、老幼、ともに集めらる。大いに雨降り、甚だ寒く、道に死するもの、百余人。・・たおれし尸(しかばね)、相い継ぐ」(一海、同書、p287-288)

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