literature & arts

Dickens, Great Expectations (1)

2017年3月6日 月曜日 曇り

Charles Dickens, Great Expectations, 1860-1861; Penguin Classics, 1996, 2003.

ディケンズ 大いなる遺産 石塚裕子訳 岩波文庫 赤229-9 2014年

**

“Not all of one kind,” resumed Biddy. “He may be too proud to let any one take him out of a place that he is competent to fill, and fills well and with respect. To tell you the truth, I think he is: though it sounds bold in me to say so, for you must know him far better than I do.” (ibid, p149; 邦訳ではp310)

**

*****

But I saw him collapse as his master rubbed me out with his hands, and my first decided experience of the stupendous power of money, was, that it had morally laid upon his back, Trabb’s boy. (ibid, p152; 邦訳ではp316)

補註 それぞれ従属節を従えた2つの文から構成される重文構造の一つの長い文であり、作者の工夫やユーモアが凝らされているはず(だが、私には大いに難しすぎる)。後半を解読してみると・・

my first decided experience of the stupendous power of money, が主語。
was, が動詞。
that it had morally laid upon his back, Trabb’s boy. が補語。

次いで、形容している語句を除くと、
my experience が主語。
was, が動詞。
that 以下の文が補語。「私の〜の経験は that〜以下(〜したところのもの)であった」。that は関係代名詞で laid(lay) の目的語。

その内容は、「it (=money) had morally laid (that=the power of money) upon his back, Trabb’s boy.」すなわち、「それ(=お金)がトラッブさんの小僧の背中に morally に置いたところのもの(=the power of money)」、となる。

ところで、 morally (道徳的に、倫理的に、正しく、実質的に・実際に、精神的に)が、この文脈で何を意味するのか、私の英語力では全くピンとこない。朗読の速さで聴いていたなら、恐らく意味不明で聞き過ごしてしまうところだろう。宿題・保留としたいところだが、とりあえず、「それ(お金の圧倒的な力)がトラッブさんの小僧の背中の上に(拳骨やバーベルプレートなどの物理的な衝撃や重さではなくて)気持ちの上で(精神的に morally )に置いたところの power (力が置かれた、つまり重さがのしかかったということ)」と訳しておく。つまり、トラッブさんの小僧さんにとっては激しい精神的な打撃・ショックであったことを言いたいのではなかろうか。

よって、私の直訳調の暫定訳は、以下の通り。
But I saw him collapse as his master rubbed me out with his hands, and my first decided experience of the stupendous power of money, was, that it had morally laid upon his back, Trabb’s boy.
「しかし、彼の主人(トラッブ氏)が(お追従の気持ちを表す)揉み手をして私を送り出すとき、私はトラッブさんの小僧が、くずおれるのを見た。そして、金銭の途方もないパワーを初めて決定的に経験したのは、それ(お金)がトラッブさんの小僧の背中に精神的に morally に置いたところのもの(=圧倒的な力)を経験した(=目撃した)ことであった。」
これをもう少しこなれた日本語に直すと・・
「しかし、彼の主人(トラッブ氏)がお追従の揉み手をして私を送り出すとき、私はトラッブさんの小僧が、へなへなとくずおれるのを見た。そして、金銭の途方もない力を初めてはっきりと経験したのは、お金が小僧の背中に道徳的(!)に載せた圧倒的な力を見たこの時であった。」

補註 laid; lay (他動詞)の過去、過去分詞 (lay, laid, laid)。lay, もとは lie (自動詞, lie, lay, lain)の使役形。that it had morally laid upon his back, Trabb’s boy. that は関係代名詞。the power を指し、それが laid (他動詞)の目的語と解したい。(しかし、やや曖昧である)。こなれた日本語としては「のしかかった」と自動詞的に訳したいところだが、直訳するためには他動詞的な日本語表現をすべきであろう。

補註  morally を道徳的という原意に捉えて、大人の世界の建前としてのモラルへの諷刺を込めたと解せるのかもしれない。上記の試訳では、「道徳的(!)に」の感嘆符にこの痛烈な諷刺を現してみたが、もちろん、こんなやり方は避けて、明確な日本語に訳したいところである。宿題。

補註 さて、石塚裕子訳の岩波文庫では、
「けれども、ご主人が揉み手をして、僕を送り出しているとき、小僧が失神するのを見た。あっというほどの金の威力を初めて思い知らされたのは、間違いなくトラッブの使用人が仰向けに倒れてしまったこの時のことだった。」(石塚訳・同書、p316)
となっている。

collapse を「くずおれる」(せいぜい膝がガクッとなるぐらい)とするか、「失神する」と訳すかは、原文が collapse としか書かれていない以上、決めようがなく、お医者さんの見地からは重大な差異であるが、ディケンズ読解の上では些細な問題である。私としては、「せいぜい膝がガクッとなるぐらい」のくずおれ方を躊躇なく採用したい。

一方、「背中に(お金による)圧倒的なパワーが(精神的に)置かれた(のしかかった)」のか、それとも石塚訳のごとく「仰向けに倒れてしまった」のか、それは現場検証をする上で重大な差異を生じる。背中に貴重品を乗せられれば、幾ら重くても何とか踏んばりたい。百歩譲って、重さに堪えかねてもなお、腹這いに倒れたいところである。その場合、人間はつぶれても、背負っている荷物「お金パワー」は安泰だ。対照的に、仰向けに倒れた場合には、後頭部を激しく損傷する危険があり、本当に「失神する」ことの結果であろう。亀がひっくり返されたような状況を想像しなければならず、その場合には、背負っているというよりも「お金パワー」の甲羅の上に縛り付けられて寝そべって天を仰いでいるような状況である。私としては、後者を想像しづらい。ディケンズ本の挿絵カリカチャーとしてどちらの姿がより楽しめるか、となれば石塚訳に軍配が上がりそうである。

冗談はさておき、that it had morally laid upon his back, Trabb’s boy. という従属節(関係代名詞節と私は思っている)は、すんなりと理解するのは難しく、こんな長たらしい補註となってしまった。作者ディケンズの工夫やユーモアが凝らされているのだと思うが、凝り過ぎ文章かも知れない。石塚訳では morally の訳が回避されており、参考にできなかった。ディケンズ本に通暁してディケンズの英語表現に慣れれば、自ずと答えが得られることもあろう。

ドイツ語やロシア語などと異なり、英語では名詞に性の区別がなく、冠詞や指示代名詞の語尾の変化もないため、ここで it が何を指すのか、that は接続詞あるいは指示代名詞・関係代名詞なのか、迂闊に読むと曖昧に通り過ぎる危険が高いのである。今回は、it は money を指し、that は lay の目的語 power を指す関係代名詞と解して訳した。間違いが分かれば、追って訂正したい。

このような一文にこだわって時間を使うべきか、曖昧でも先へどんどん進むべきか、岐路に立ったときは、ありきたりの表現ではあるが、臨機応変に道を選ぶしかなかろう。英語の勉強の今後も多難が予想される。

**

*****

********************************************

RELATED POST