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自分に対する称賛を、愛に対する報いを愛で支払ってもらいたいんです。そうでなければ、だれも愛することができないんです!

2023年1月20日 金曜日 曇り

ドストエフスキー 亀山郁夫訳 カラマーゾフの兄弟1 光文社古典新訳文庫 2006年(原作は1879-1880年)

 ・・もしもわたしのこの『実践的な』人類愛をすぐにでも凍りつかせてしまうものがあるとしたら、それはただひとつ、恩知らずの行為でしかないと。要するに、わたし、賃金目当ての労働者と同じなんです。すぐにも賃金を支払ってもらいたい、つまり、自分に対する称賛を、愛に対する報いを愛で支払ってもらいたいんです。そうでなければ、だれも愛することができないんです! (ドストエフスキー、同訳書、p148-149)

 ・・そのひと(=ある医者)が申すには、わたしは人類愛に燃えているが、自分で自分に呆れることがある。というのも人類一般を好きになればなるほど、個々の人間を、ということはつまり一人一人を個々の人間として愛せなくなるからだ、と。自分は夢の中で、人類への献身という狂おしい考えにたどりつき、何かの機会に不意に必要が生じれば、じっさいに人々のために十字架にかけられてもいいとまで思うと申すのです。そのくせ、同じ部屋でだれかとともに過ごすことは、たとえ二日でも耐えられない、それは経験でわかる。だれかが自分の近いところにいると、それだけでもうその人の個性に自尊心をつぶされ、自由を圧迫されてしまう。どんなによい人でも、自分は一昼夜のうちに相手を憎みだしてしまうかもしれない。ある人は食事がのろいから、またある人は鼻かぜをひき、しょっちゅう鼻をかんでばかりいるからといって。(ドストエフスキー、同訳書、p149-150)

 ・・あなたがさっき、あれほど心をこめてわたしに話したことが、もしも自分の誠実さをわたしに褒めてもらうためだけのものだとしたら、実践的な愛という行いの点で、むろん何も達成できないでしょう。結局のところ、何もかもたんなるあなたの夢で終わり、人生はまぼろしのように過ぎ去ってしまいます。そのうち、来世での生活のことも忘れ、しまいにはなんとなく自分に安住しておしまいになることが目に見えています。(ドストエフスキー、同訳書、p150)

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