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彼は彼女を見つめ、霊感を求めてロンブローゾに加護を願った。

2024年8月1日 木曜日 15時頃からしとしとと雨(この8月もまた雨で始まった。)

コンラッド シークレット・エージェント 高橋和久訳 光文社古典新訳文庫 2019年(オリジナルは1907年)

・・彼女(=ミセス・故ヴァーロック)は激しい苦悶を滲ませて尋ねた。無造作にヴェールを上げて、救世主(=同志オシポン;アレクサンドル・オシポン=トム;ドクターの異名を持つアナキスト)を見つめる。 鉄石の意志をみなぎらせた顔があらわになっていた。そしてその顔から目がじっと相手に向けられている。大きな、涙も涸れ、見開かれた、光のない目。白く輝く二つの球体のなかにできた二つの黒い穴のようだった。

 「危険はない」と彼は答え、心を奪われたような熱のこもった眼差しで、その目を覗きこむように見つめる。絞首台から逃げようとしているミセス・ヴァーロックには、力と優しさに満ちていると思える眼差しだった。この献身的な熱意が彼女の心を動かしたーー鉄石のような顔から厳しくこわばった恐怖の色が消えた。(中略)・・彼は、因襲的な道徳の桎梏に縛られることはない。彼が従うのは科学の法則。彼は科学的であり、その女を、退化者の姉で、自分自身が退化者ーー殺人を犯すタイプのーーである女を、科学的に見つめた。彼は彼女を見つめ、霊感を求めてロンブローゾに加護を願った。それはイタリアの無知な農民がお気に入りの聖人に加護を求めて我が身を売り込むのに似ていた。彼は科学的に見つめる。・・(以下、略)・・(コンラッド、同訳書、p487)

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 ・・そこには<狂気もしくは絶望によるこの行為には、どこまでも不可解な謎がいつまでも消えずにたゆたうほかないように思われる>と記してあった。(中略)・・会えば彼女たちに、いつまでも消えずにたゆたうほかないどこまでも不可解な謎について口走ってしまうのではないかという恐れが拭えないのだ。彼は冷静に考えて、この一文の行間に狂気が潜んで自分を待ち伏せしているんではないか、と怖れるようになった。「いつまでも消えずにたゆたう」のは絞首台のロープも同じ。それは強迫観念、拷問だった。(コンラッド、同訳書、p505-506)

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カンタベリーにあるコンラッドの墓地

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 人間すべてについて「どこまでも不可解な謎」が「いつまでも消えずにたゆたう」にちがいないと言えるだろう。だが、万人のなかで彼だけが呪われた知識を払拭できないとしたらどうだ? そして同志オシポンの知識はあの記事を書いた記者もかなわないほど正確なものだったーー<いつまでも消えずにたゆたうどこまでも不可解な謎>のまさにとばくちにまでたどり着いていた。(同、p506)

ジョゼフ・コンラッドの父アポロ・コジェニョフスキ(1820–1869)

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 ・・しかし同志オシポンは知っていた、彼女の絶望した蒼白な仮面の裏では、逞しい生命力、生への愛が恐怖と絶望とを相手に激しく戦っていたことを。それは殺人にまで駆り立てる凄まじい苦悶と、絞首台への恐怖、やみくもなくるわんばかりの恐怖とに対抗できる力なのだ。(同、p508)

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