philosophy

善悪の二つ存知せざるなり

2016年8月5日 金曜日 極めて暑い

筧次郎 ことばのニルヴァーナ 歎異抄を信解する 邯鄲アートサービス刊 2004年

辛い労働と貧しい暮らしと孤独に直面して打ちのめされそうになったとき、私は「歎異抄」の「善悪の二つ総じてもって存知せざるなり」という親鸞聖人の言葉を初めて了解(りょうげ)したのです。(筧、同書、p223)

親鸞聖人の言葉に出会って、私は「世の中を変えよう」という気持ちを捨てました。それをきっかけに心がずいぶん軽くなり、百姓暮らしの中に豊かさや楽しさを見いだすことができるようになりました。(筧、同書、p225)

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科学技術の発展が欧米の豊かさをもたらしたように思っている人が多いのですが、科学技術は富を創り出したのではなく、富を集める道具を創り出したのです。・・現代の工業機械も形こそ違うが武器のような役割を果たして、南の国の人々の富や労働を奪っています。(筧、同書、p222)

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「・・商いをもし田畠を作りて過ぐる人も、ただ同じことなり。さるべき業縁の催せば、いかなる振る舞いもすべし」とこそ、聖人の仰せ候いしに、・・(筧、同書、p161に引用されている歎異抄、第十三条)

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