culture & history

謀略の戦争史 日本人が知っておきたい歴史の裏側

2023年12月23日 土曜日 晴れ

長浜浩明 謀略の戦争史 日本人が知っておきたい歴史の裏側 展転社 

ドイツは「日独防共協定」後も蒋介石を支援

 ・・日本は中国人を「同文同種」と誤認し、蒋介石と手を取り合い、共産党に抗しようとしたがそれは夢だった。蔣介石は米、英、独、ソの軍事支援を得て、日本を追い出すことに全力をあげた。米国は蔣介石を支援し、英国は競争相手となった日本を追い落とすべく様々な手を打った。英米は日本がシナ共産化の防波堤であることを知らず、日本潰しに血道を上げていた。(長浜、同書、p286)

 ・・わが国は満州事変が起きた頃から、ドイツ軍事顧問団の動きに神経を尖らせていた。その後、日本の抗議にもかかわらず、「ドイツは中立である」と日本に回答し、蔣介石に武器を売り続け、決して日本の抗議に応えようとはしなかった。・・・(中略)・・・ その(=1936年の日独防共協定)後もドイツによる武器輸出は続いた。中国向けは、ドイツの武器輸出総額の約6割を占め、止めることはできなかった。(長浜、同書、p287)

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世界恐慌・ブロック経済から日米確執へ

 ・・1932年7月、オタワ会議が開かれ、イギリス連邦域内の関税を低くして域外からの輸入品には高関税をかけることが決まった。フランスも閉鎖的な経済圏を作り始め、世界はブロック化へと向かった。

 その結果、米国の工業製品や農産物は行き場を失い、残る望みは日本、満州とシナになった。それ故、米国は「シナの領土保全と機会均等」を主張したが、その真意は日本にシナの市場を奪われまいとしたのだ。満州国の不承認はその現れであり、それを侵害している日本をシナから追い出そうとした。それが日米確執の主因となった。

 その後も米国経済は悪化の一途をたどり、1929年に155万人だった失業者は1930年には434万人に激増した。閉鎖された銀行は一万に及び、1933年2月には全銀行が業務停止に陥った。だが、大恐慌打開の目途は立たなかった。(長浜、同書、p289)

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