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遠ざかれば遠ざかるほどかえって求心的に作用する

2016年3月31日 木曜日 曇り

白川静 中国古代の文学(二)史記から陶淵明へ 中公文庫 1981年(初出は1976年)

士人の運命の問題に陶謝の二人が、その生涯の実践を以てそれぞれの解答を与えている。

謝礼運の臨終詩:

龔勝無遺生,季業有窮盡。
嵇叟理既迫,霍子命亦殞。
萋萋後霜栢,納納衝風菌。
邂逅竟無時,修短非所愍。
恨我君子志,不得巖上泯。
送心正覺前,斯痛久已忍。
唯願乘來生,怨親同心朕。

「臨終詩」には「心を正覚の前に送り この痛(かなし)み久しく已(すで)に忍びたり ただ願はくは 来生に乗じて 怨親、心朕(心のきざし)を同じうせん」(送心正覺前,斯痛久已忍。唯願乘來生,怨親同心朕。)と正覚を求める心を述べている。しかしそれにもかかわらず、その詩には悟境というべきものがない。それはかれが圏外のものとしようとした世間的なものが、遠ざかれば遠ざかるほど、かえって求心的に作用し、また自然に雕琢を加えようとすればするほど、自然の神気、神情は失われてゆくのと同様に、内部の矛盾として拡大される。外的なものによって内的なものを超克することは、ついに不可能である。(白川、同書、p409-410)

宋の厳羽の「滄浪詩話」に「謝礼運の詩、一篇として佳ならざるなし」と評しながらも、「謝の陶に及ばざる所以のものは、康楽(霊運)の詩は精工、淵明の詩は質にして自然なるのみ」という。また蘇東坡は淵明の詩を「その詩質にして実は綺、癯(く やせる)にして実は腴(ゆ ゆたか)」(「蘇轍に与ふる書」)といったが、霊運の詩はその裏がえしとみてよい。巌上に泯(ほろ)びることを願った霊運の詩には、その「褊激(へんげき)の性」(「本伝」)が露呈していて、淵明のような悟境はみられない。その苦悩はむしろあの精工な造句のうちに刻みこまれているようにみえる。かれは「臨終詩」のはじめに、「龔勝無遺生,季業有竆盡。嵇叟理既迫,霍子命亦殞。・・・・・(中略)・・・・・」と枉殺(おうさつ)を受けた士人の名を列する。・・・(中略)・・・士人社会の歴史を通じて、そのような運命へのおそれは、多くの人がもちつづけたものである。そしてそこに士人社会の精神的基盤というべきものが形成された。謝氏が晋の遺臣として、宋室の嫌疑を受けているという被害者の意識は、おそらくかれの脳裏を去らなかったであろう。その意識が、このような詩を作らせたのである。山水へのあの激しい自己投棄は、それへの抵抗の変形された表現とみられる。 陶謝二人ののち、このように生き、またこのように死んだ士人をみない。これよりのち、人びとは無気力に王室のサロンに集まり、「綺麗、珍とするに足らざる」(李白「古風」その一)艶靡な宮体詩を作った。司馬遷がその鋭い予感を以て論じた士人の運命の問題(補注A参照)には、この陶・謝の二人が、その生涯の実践を以てそれぞれの解答を与えている。その文学もまた、士人の文学として形成されてきた創作詩の、それぞれの頂点を示すものとして、六朝後半のそれと区別されるべきものであると思う。(白川、同書、p410-411)

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補注 雕琢(ちょうたく)
WEB字書によると・・・研きを掛ける[ミガキヲカケ・ル] 一段と立派なものにする

補注 枉 オウ まがる もとは木を枉曲する意。(白川 字統 p66)

補注A 司馬遷がその鋭い予感を以て論じた士人の運命の問題:

士人の運命:陶謝の二人がそれぞれの解答を与えている。

2015年12月24日の当サイトのページから引用再掲する:

天道の是非を問うのは、「名にしたがう(徇ふ)」ことが「烈士」の生き方であるからである。「史記」百三十篇は、天道の是非を問うために著されたものであり、そして「伯夷列伝」は、その序論をなすものであろう。そこには、孔子が賛嘆してやまない古代の高逸の士を借りて、士人の生きかたの典型が描かれている。天道はもともと是非のあるものではない。「老子」に「天地は不仁、万物を以て芻狗(すうく)(わら人形、祭りののちに捨てられるもの)と為す(五章)」というように、それはすべての存在に超然たるものである。しかし、そのように不仁であることが、行為的主体としての人に、否定的契機を与える。そして人は、それに憤ることによって、はじめて「倜儻非常の人」となりうるのである。もし「伯夷列伝」がそのような士人と運命についての序論であるとすれば、「太史公自序」はその結論にあたるものであろう。そこではいわゆる発憤著書の説が述べられている。それは遷の運命論と、深くかかわるものであった。(白川、同書、p24)

同じく再掲:
・・・文学としての「史記」は、ひとえに受刑によって開かれた遷の運命観と、その表現者としての自覚によって支えられている部分にある。それは「史記」のうちのある限られた部分において、強く主調音としてはたらきながら、全体を大交響曲として高める役割をしている。
 しかしこの大交響曲は、聴くものにカタルシスとして機能するものではない。その最も重要な根源的な部分は、無弦の琴のように音を発することがないからである。人間の運命を主題とするこの偉大な史書は、その問題に解決と慰めを与えるものではなく、この書に示されたようなさまざまの運命に生きることを、その運命の実践を、むしろ将来の人びとに課したのであった。人びとは、その史伝中の人びとのように生きることを典型として与えられ、義務づけられたのである。(白川、同書、p60)

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補注 謝礼運 臨終詩の原文について 三教圓融的臨終關懷―謝靈運 臨終詩 考釋 邓小军さんのサイトhttp://www.literature.org.cn/article.aspx?id=17731 より以下に引用

謝靈運< 臨終詩>自南齊至唐代三種本子:

  《宋書》卷六十七< 謝靈運傳>“臨死作詩曰”:
  龔勝無餘生,李業有終盡。嵇公理既迫,霍生命亦殞。悽悽淩霜葉,網網衝風菌。邂逅竟幾何,修短非所愍。送心自覺前,斯痛久已忍。恨我君子志,不獲巖上泯。

  《廣弘明集》卷三十< 統歸篇第十之二·宋謝靈運臨終詩一首>:
  龔勝無遺生,季業有窮盡。嵇叟理既迫,霍子命亦殞。萋萋後霜栢,納納衝風菌。邂逅竟無時,修短非所愍。恨我君子志,不得巖上泯。送心正覺前,斯痛久已忍。唯願乘來生,怨親同心朕。4

  《影印宋磧砂版大藏經》本《法苑珠林》卷九十六< 捨身篇第九十六>引證部末“頌曰”:
  龔勝無遺生,季業有竆盡。嵇叟理既迫,霍子命亦殞。屢屢厚霜指,納納衝風菌。邂逅竟既時,脩短非所慜。恨我君子志,不得嚴上泯。送心正覺前,斯痛久已忍。既知人我空,何愁心不謹。唯願乘來生,怨親同誠朕。5

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