literature & arts

宮沢賢治の詩は、自分が感じたことや考えていることを理解してもらうための表現ではない。

2020年11月9日 月曜日 曇りのち雪

今野勉 宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人 新潮社 2017年

 ・・賢治の詩は、私たちがよく使う「自己表現」とは違うようなのだ。自分が感じたことや考えていることを、理解してもらうための表現ではない。  賢治は、自分が書いているものは詩ではない、とこだわった。最初の詩集『春と修羅』が出版されたとき、「心象スケッチ」とあるべきところが「詩集」とされてしまい、その文字を銅粉で消したとも伝えられている。  童話もまた、「心象スケッチ」の延長線上にあるのだろう。「ケンタウル祭」も「ジョバンニの切符」も、そして「水晶のお宮」も「空の工兵大隊」も、理解してもらうための配慮はどこにもない。すべては、賢治の心の中にあるだけなのだ。(今野、同書、p386-387)

 ・・ところが、最終の第四次稿に至って賢治は、ジョバンニに切符の大切さを説いたブルカニロ博士が登場する場面を全面的に削除してしまうのだ。・・・(中略)・・・  初期形一から三まで、ジョバンニに生き方を示す役割がどんどん大きくなっていた切符は、第四次稿では、その行方さえわからぬまま終わってしまった。なんということだ。これでは物語として、完全に破綻してしまったではないか。・・・(中略)・・・  ブルカニロ博士は、なぜ消えたのか。ジョバンニの切符はどこへ行ったのか−−−。(今野、同書、p368)

・・・(中略)・・・

「心相」は、田中智学への訣別の詩なのだ。国柱会は昭和四年十月に、盛岡で二日にわたって宣伝活動を行った。それは、県と市が共催する大々的なものだった。ところが、賢治は参加していない。そのころ賢治の心は、国柱会や田中智学から離れていたと思われる。「己の心」が変わったのだ。(今野、同書、p369)

・・船に乗らなければよかった、と後悔していた男の子は、ここでも汽車から降りることを拒否している。「思し召し」に反抗しているのだ。ジョバンニは「天井へなんか行かなくたっていいじゃないか」と男の子に共感を示す。これは、念仏を唱えさえすれば浄土に行けると説く浄土教的な信仰を批判し、この世に浄土を作ろうと説いた日蓮の思想への共感であって、賢治の考えをジョバンニに代弁させているのである。  それに対して女の子は「ここで降りなけぁいけないのよ」「神さまが仰っしゃるんだわ」と、率直に「思し召し」に従おうとする。死を受け入れ、迷いがない。その姿は、妹とし子とは重ならない。女の子の言に、ジョバンニの言葉は激しい。「そんな神さま、うその神さまだい」。  ジョバンニの反論は、浄土思想とともにキリスト教的な天国をも否定しているかにみえる。・・・(中略)・・・ 対するジョバンニの最後の言葉に、賢治の思いがこもっているといえよう。「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうのほんとうの神さまです」。 ・・・(中略)・・・ そして、その死者のほんとうの苦しみを素通りして、神の許に行けるのだから幸せだ、と他者を死に追いやった青年(=家庭教師)の独善を、賢治はついているのだ。「ああ、そんなんでなしに」とジョバンニ、すなわち賢治は、もがくように言う。生きる者、死んでいく者のほんとうの苦しみや悲しみに寄りそうことから始めてくれる「たったひとりのほんとうのほんとうの神さま」の存在を、賢治は信じたいのだ。「他人の生命を救うために自分の生命を失った者は、どうやって救われるのか」。それを教えてくれるのが、「ほんとうのほんとうの神さま」なのである。・・・(中略)・・・

・・他人の生命を救って自ら生命を失ったカムパネルラが、「神さま」論争に加わらなかったのはなぜだろう。その後にも発言はない。なぜ、賢治はカムパネルラを沈黙させたのか。(今野、同書、p352-354)

・・洗ってやることもできなかったとし子の髪は、もつれている。櫛で梳くことができないほどだったのかもしれない。賢治は、とし子の頭を膝に乗せると、火鉢につき立ててあった火箸を手に、髪を整えてやる。  慟哭とは、大声で悲しみ嘆くことである。火箸でとし子の髪を梳く賢治に、大声で泣くことはできない。声を押し殺して泣く。湧きあがってくる悲しみをこらえながら、火箸を動かしたのだ。それは、無声慟哭としか言いようのない姿であった。(今野、同書、p279)

・・何も言わず悲しげな顔をしている兄を見て、とし子は眼をそらす。それに対し、「自らにある修羅の心と慈悲の心と、ふたつの心を見つめているからなのだ。そんなふうに悲しげに目をそらさないでくれ」と、賢治は胸の内で言い訳するのだ。(今野、同書、p277)

・・「(うまれてくるだて/こんどはこたにわりやのごとばかりで/くるしまなあよにうまれてくる)」。賢治は、この言葉も、最初はローマ字で書いた。「おら おらで しとり えぐも」と同じくらいに、とし子の孤独を伝えるつらい言葉であることを表そうとしたのだ。  「岩手民報」の記事を読み、とし子のノート(「自省録」)にくり返し目を通し、そして口語詩「マサニエロ」と文語詩[猥れて嘲笑める]に辿り着いた私にとって、「(うまれてくるたて・・・)」はこう聞こえてくる。「こんど生まれてくるとしたら、自分のことばかりで悩み苦しんだようなこんな人生は送りたくない。心から愛しあえる人にめぐりあって、二人の愛がみんなへの愛になるようなそんな人生を送りたい」。(今野、同書、p271)

**

補註 宮沢賢治の青春については、菅原千恵子さんの著作も以前にご紹介しました。以下もご参照下さい。

菅原千恵子 満天の蒼い森 若き日の宮沢賢治(角川書店)1997年 https://quercus-mikasa.com/archives/8435

菅原千恵子 宮沢賢治の青春 “ただ一人の友”保坂嘉内をめぐって(角川文庫) https://quercus-mikasa.com/archives/8432

**

グルスアンテプリッツ(2020年6月・撮影)

*****

*********************************

RELATED POST