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ルソー社会契約論の「一般意志」の帰結

2021年5月23日 日曜日 雨

 
佐々木啓思 国家についての考察 飛鳥新社 2001年

・・さてこのルソーのロジックをつきつめていくとどうなるだろうか? 国家は契約によって作られる。この契約を可能とするものは「一般意志」である。「一般意志」において、社会の構成員は自らを共同体に譲りわたすことによって同時に主権者となる。この点ですべての構成員は完全に平等であり一致している。共和国とはあくまで、対等、平等で自発的な人々の集まりである。だがそこから恐るべきことが帰結する。それはその結果として「一般意志」は文字通り絶対的なものへと祭り上げられるということだ。(佐伯、同書、p228)

・・ここに、共和主義と民主主義の根底的な理論家ルソーが、また同時に全体主義の理論家でもあるという逆説が成立する。ルソーは、自然法や神という超越性が存在しないこの世俗世界で、共和主義や民主主義の構成論理を突き詰めてゆけば全体主義に陥ることをはからずも論証してしまったといえよう。この世(社会)を越えた超越的な存在を一切排除した社会契約を完遂するとき、「一般意志」の名を騙る主権が超越者となってしまうのである。あらかじめ「神」や「王権」のような超越性を前提としなければ、社会はそれ自体を超越的存在として絶対化してしまうのである。共和主義的な民主主義をロジカルに徹底すれば全体主義とならざるをえない。この逆説的でおそるべき結論こそがルソーの示したことであった。(佐伯、同書、p229)

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