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自分がかつて「子ども」をどのようによく生き、そして今もどのように「子ども」とよく生きているか?、という自問をくり返すこと。

2021年5月27日 木曜日 曇りのち午後から雨

小浜逸郎 方法としての子ども ポット出版 2006年(オリジナルは1987年・大和書房)

「子どもとは何者か」の問いに答えることはただちに「大人とは何者か」の問いに答えることであり、そして究極的には「おまえは何者か」の問いに答えることでもある。(小浜、同書、p272)

・・自分がかつても今も「子ども」をどのようによく生き、そしてどのように「子ども」とよく生きているかという自問をくり返すことの方が、このテーマにとってはるかに有効なことではないか、と少なくとも私には思われたのである。この姿勢のとり方がどこまで実際に効を奏しているか? (小浜、同書、p273)

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エロスとは、プラトンの説くとおり、満たされない中間的状態なのだが、その動機づけを、ソクラテスのように未来に実現されるべきよき合一点を目指すものと考えるか、アリストパネスやバタイユのように、はじめにありえた一体的な状態(連続性)に対する郷愁と考えるかで、人間の生というものを観ずる基本的な視点が大きくちがってくる。個体の相互分離そのものを出発点における挫折と見て、その乗り越えを生の主題とせざるをえない存在として人間をとらえるここでの私の考え方は、明らかに後者の立場に立つものである。(小浜、同書、p279)

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