読書ノート

魂(エートス)の衰弱にどのように対処するか。「魂の復興」は「国家意識の再建」という課題と重なってくる。

2021年5月17日 月曜日 朝から雨・昼頃から曇り

4月30日の雨の日、そして5月9日の午後の雨、それら以来の久々の雨休み(5月16日〜17日・午前)。懸案の書物を読み始めることができそうだ。今まで、働いた日の夜も必ず読書はしようと本を広げるのだが、次のページを捲る前に眠り入ってしまって果たせない夜が続いていたのである。昨日、5月16日も然り、昼間もウトウトしていたのに、夜になってもすぐに眠れてしまったのであった。さすがに、今日は眼を開けていられそうである。雨が上がったので、昼食後は、少し畑で働いてくるつもりではある。

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佐々木啓思 国家についての考察 飛鳥新社 2001年

グローバル化と情報化がもたらす「文化の破壊(バンダリズム)」と「国家意識の弱体化(デナショナライゼーション)」の中で、いかにそれに抗しつつ、ナショナル・アイデンティティーの意識を確保するかこそが現代の日本の課題といわねばならないであろう。

むろん、ナショナル・アイデンティティーといい、「魂の問題」といい、簡単な形で言語表現できるものでもないし、また明示された道徳律のような形で論じるべきものではない。「魂」とはまた「心」といってもよいが、いずれにせよそれは日常生活の中に入り込み、人間関係を具体的場面で律し、情感と美意識を結びつけ、人間の社会的なたたずまいに形を与える「沈黙の規範」である。さらに「魂」や「心」という観念によって、われわれは、日常的な倫理の源泉だけではなく、生き方と死に方の形を、あるいは心構えを言い表そうとしてきた。とりわけこの語が仏教的な無常観や王朝的な美意識、儒教的な霊魂観念を随伴するときには、明らかにそこには死生観、つまり人間を世界へ結びつける絆と死へと向ける意識のあり方が暗示されていた。ここでは一つの精神的な伝統の中にある限りで、われわれはこの明示されない暗黙のメッセージを、暗黙の死生観を受け取ることができたのである。(佐伯、序章 なぜ「国家」を論じるのか 同書、p44)

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