literature & arts

憎しみと嫉妬と競争と他人の否定との戦い

2016年7月15日 金曜日 晴れ

伊藤整 火の鳥 新潮現代文学13 新潮社 昭和56年(1981年) 

補注 オリジナルは昭和26年伊藤整46歳の時、一月「変幻」(「火の鳥」の一部)を「小説新潮」に発表、昭和28年一月には「渦巻」(「火の鳥」の一部)を、<新潮>に発表。同年十一月には「薔薇座」(「火の鳥」の一部)を<新潮>に発表、とある。

補注 私が珍しく、久しぶりに読む純文学の書。次男の伊藤礼さんの本はすでに四冊も読了しているが、お父さんの伊藤整氏の著書を読むのは今回が初めてである。不生庵さんの書かれているものを読んで、また礼さんの「伊藤整氏奮闘の生涯」を読んで、それでは私も伊藤整氏の書かれたものを読んでみようかという次第である。行きつけの大学の図書館でやっとのこと見つけた伊藤整氏の本は、新潮現代文学80冊本の中の1冊。80人のうちの第13番目、意外と早い。ちなみに第一巻、第二巻は、それぞれ川端康成、井伏鱒二であった。

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なぜ、そうなのだろう。私は、生きることの怖ろしい責任というようなものに無感覚なのかも知れない。自分に失われた過去の中から、甘い感覚と情緒だけを選んで、それに支配される片輪なのではないか。私は本当の犠牲を、杉山を失ったという形で払っている。それでいて、若い時の彼の姿だけを別な男の中に見る私は、本当の生活を掴む力がないのではないか。(伊藤、同書、p288)

出しものが一つ決まる毎に起こる配役の不満、嫉妬、憎悪、かげ口、そして分裂騒ぎ、こんなことを繰り返してまで、私たちは芝居をする必要があるかしら、と私はまた今日も、盆を持って室を出入りしながら考えた。私たちの作っているこの集団は、まるで憎しみと嫉妬と競争と他人の否定との戦いが目的なので、その戦いをする手段として芝居をしているのではないか、と私は思うことがある。・・・(中略)・・・自分たちは何でもないただの素人の男と女でしかないのかも知れない。ただこの仲間の間でだけ俳優であり、仲間の間でだけ自分のしていることを芸術だと思い込み、・・・(中略)・・・。みんながその怖れのために、ここに顔をつき合わせていて、嫉妬し、憎み、策略を使い、他人を踏みつけようとして争いながら、離れていけないのではないかしら。(同、p288-289)

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補注 「渦巻」(「火の鳥」の一部)は、本書では第六章(同書、p305)のタイトルになっている。

渦巻(p305〜)

そして逮捕でもされるように連れて来られなければ、私はこの田島先生の劇団に帰って来はしなかったのだ。この後の方を、あらわに顔に出して、私は傲慢に、ふてぶてしくしていることが出来る。この私でいいのね、この私が必要なのでしょう、という顔をしてもいいわけだ。  その二つの極の間のどこに合わせて自分の表情とものごしとを決めるか。私は、車から助け降ろされて三つほどの段を上っていく間、迷っていた。(同、p306)

あなたたちの思っている私は、活字で出来た私の外側の衣装なのよ。私に触れば、その衣装はお菓子のようにこわれてしまう、と私は叫びたいような気持ちで立ちすくんだ。(同、p307-8)

一時はげしく方向のわからない渦巻のようになっていた私の感情が、その田島先生の姿勢に吸い寄せられるように集中した。そこに、自分の屈辱感に耐えて、・・・(中略)・・・この商業劇場の残忍な営利宣伝主義に、最後の線で対抗している姿を私は見た。この人を、私は崇拝し、信じ、そして愛した。そして裏切った。その一連の反省が私の全身を貫いて、・・・以下、略・・・
(同、p312)

私の無視して後ろへ投げ棄てたものたちが、力のない幽霊のように、ぼんやりした姿で私のまわりに渦巻いた。その真中で私は冷静な抜かりのない自分を小さく限って保っていた。その片意地に自己を守る自分の姿を、私は、お母さんに似ている、とひらめくように考えた。(同、p322)

この夏以来の三月ほど、敬ちゃんとの事件が、私を渦巻の中に巻きこんだ。まわりのものが旋回し、泡立ち、混乱した。私は自分を失ってはまた取りかえした。私は逃亡し、泣き、愛し、偽り、絶望し、疑った。(同、p349)

目立たないで生きること、妬まれず、憐れまれずに、群衆の間を歩きまわることが、今では私の演技であった。(同、p353)

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