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石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

2016年3月9日 水曜日 曇りのち晴れ

小林惠子 本当は怖ろしい万葉集 歌が告発する血塗られた古代史 祥伝社 2003年

224 ・・石川の貝に交じりてありといはずやも
225 ・・石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ
・・貝はこの場合、人麻呂が貝のような白骨になっているという意味である。人麻呂はとうの昔に亡くなっていたのを知るすべがなかった妻の嘆きの歌である。・・私は視点を変えてみた。つまり石川を現実の川ではないとするのである。 元明天皇の母は姪娘(めいのいらつめ)といい、蘇我山田石川麻呂の娘だった。元明天皇は天智天皇の娘でもあり、草壁皇子の妻でもあった。大津京の大友皇子朝時代、高官に就きながら天武朝で大友皇子を裏切って、復帰した人麻呂を許せなかったことは想像に難くない。しかも人麻呂は「壬申の乱」の時、大友皇子を見捨て、大海人皇子側についた高市皇子の寵臣でもあった。・・人麻呂の妻の依羅娘子(よさみのおとめ)は、人麻呂の処刑を命じた元明天皇を何かの形で暗示して世にしらせたかった。・・そこで歌の中に、さりげなく元明天皇の母方の石川という名を織り込んだのではないか。石川という言葉を使うだけで、心ある人なら人麻呂の処刑を命じたのが元明天皇であることがわかるようにしたのである。 さらに「石川に雲立ち渡れ」とあるが、この「雲」は火葬の際に立つ煙を暗示している。依羅娘子は元明天皇を呪い、死を願っていたのである。元明天皇に一矢報いようとした人麻呂の妻、依羅娘子の意図が千年経た今も完全に葬り去られたままなのは無念だろう。(小林、同書、p216-218)

人麻呂の生涯を見通すと、一本の線が通っているようだ。それは百済系の天智朝を正統とする観念である。このことは人麻呂が単なる職業歌人でなかった証明になろう。 人麻呂は亡命百済貴族として、百済系天智朝の存続に生涯を賭けた政治家でもあったと私は考えている。(小林、同書、p221)

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