2016年1月7日
金谷治 孟子 岩波新書 1966年
戦国時代の中国に、アテナイのような市民権の自由があったかどうか、それは歴史家の研究をまつとしても、孟子の政治哲学が持つ民主的な傾向を注視すると、どうしても、新たに勃興した民衆の力を考えないわけにはいかない。(金谷、同書、p96-97)
「天子の地位を保証する天意は、民衆の意思によって代表される。」という思想である。ここには、民意の尊重、与論の重視という進歩的な思想が示されている。そして、孟子は、この立場から、ついに民衆が貴く君主は軽いと宣言した。・・・民衆が記帳で君主が軽いというのは、たとえどのように解釈してみたところで、現実の君主に対する侮辱であるに相違ない。しかし、かれがそれを敢然と言い放ったのは、いわゆる下克上の時代、すなわち下からの力の盛り上がりがはげしい現実を、正しくふまえていればこそであった。(金谷、同書、p97-98)
君に大過あらば則ち諫め、反覆して聴かれずば則ち位を易う。(孟子、万章下篇)
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