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「自由」や「民主主義」を無条件に立派なものだとして祭り上げるのをやめよう。

2021年7月6日 火曜日 曇り時々雨

佐伯啓思 自由と民主主義をもうやめる 幻冬舎新書 2008年

・・「自由」や「民主主義」を無条件に立派なものだとして祭り上げるのをやめようということです。・・「自由」はすぐに「放縦」へと流れますし、「民主主義」のほうも、たとえば「民意」が正しいという保証はどこにもありません。

 だから「自由」が大事だということは、「自由」で何をするかという、その「内容」と分けることはできません。また、「放縦」を抑えるための規範とも分けるべきではありません。「民主主義」にしても、「国民」のなかに良識があればこそ成り立つわけです。

 では、自由が与えられてやりたいことは何か、また、「放縦」へ流れることを縛るものは何か。さらには、国民の良識とは何か、ということになれば、そこに、その「国」の文化や歴史、ようするに一国がはぐくんできた「価値」が出てくるわけです。「自由」や「民主主義」にしても、その国の「価値」というものから切り離せないのです。

 そこで、一国のはぐくんできた価値を大事にしようという立場を「保守の精神」と言っておきましょう。すると、「自由」や「民主主義」といえども、「保守の精神」が根底になければロクなものにならないということがわかります。

・・・(中略)・・・

 ・・「保守主義」と言えば、左翼嫌いの人、アメリカとの同盟を重視する人、自民党の支持者、大東亜戦争を肯定する人、昔はよかったと嘆息する人、やたら若者に説教する人、怖いおじさん、といったイメージがついてまわります。そんなことは、本来の「保守の精神」とも「保守主義」とも何の関係もありません。

 しかし、確かに、日本で「保守主義」を唱えることは結構難しいのです。それは、保守主義とは、一国の受け継がれてきた「価値」を大事にするところから始まるのですが、戦後日本では、そもそも「受け継がれてきた価値」が何か、がよくわからなくなってしまっているからです。だから、どうしても「保守主義者」は、「戦後日本」に対して厳しくなります。これは、日本の「保守」の特徴でもあり、また譲れない点でしょう。(佐伯、同書、p225〜227)

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