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自由をあくまで「消極的なもの」にとどめておくこと。

2021年7月6日 火曜日 曇り時々雨

佐伯啓思 自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで 講談社現代新書 2004年

バーリンの「自由論」: 積極的自由と消極的自由(バーリンの1958年の教授就任講義)

・・バーリンは、自由を消極的なものとして、つまり「・・・からの自由」とすべきだと述べた。自由は、あくまで抑圧から「私の世界」を守るという程度のささやかなものに限定されるべきだといったのである。それは、自由の過度の追求という積極的自由のもたらす危険を了解していたからであった。(佐伯、同書、p94)

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 (バーリンは)・・和解しがたい価値の中で人は当然争いあう。そのときに「積極的自由」をひとたび認めると、それは「自由」の名のもとに人々が殺しあうことを認めることになる。それならば「自由」の領分は「消極的なもの」にとどめておくべきだというのだ。自由をあくまで「消極的なもの」にとどめておくことによって、自由の観念そのものが破壊されてしまうことを避けようとしたのである。(佐伯、同書、p97)

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 ・・「価値」とは何か。それは、人がその生を委ねてもよいとする超越的な規範性にほかならない。それは、もともと個人の主観性や趣味や日常的な利害を超えた次元を持っている。「価値」は本質的にそれ自体の普遍性や妥当性を要求するような面を内包しているのである。(佐伯、同書、p162)

 ・・価値の問題の根底に常に「義」という観念がある。そこでは、「善」という観念さえ相対化されてしまう。そのことを前提にしておかなければ、「価値の自由な選択」などというまやかしに足をすくわれてしまうのである。(佐伯、同書、p184)

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 ・・偶然の属性は個人の自由といかにかかわるのだろうか。

 リベラリズムは、「個人の属性から偶然性を排除することが自由につながる」と述べる。私(=佐伯)は、あえて、その逆のことを主張したい。私は、むしろ、「個人の属性としてある種の偶然性を引き受けることこそが自由につながる」と述べたい。ただ、その場合、それを「自由」という言葉で呼ぶことが適切かどうかはまた別の議論にはなるが。(佐伯、同書、p222)

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近代社会を構成している重要な三つの価値

1)生命尊重主義(=自己保存の原則) 何人も自分の生命について基本的な権利を持っていること。

2)抑圧からの解放 通常、近代的な意味で「自由に対する欲求」といえば、「抑圧からの自由」という原理をさす。

3)合理的な実証主義 人間はものごとを理性的能力に従って合理的に把握すべきだということであるが、その場合の合理性は、基本的に論理と事実の領域で保障されるべきだという。(佐伯、同書、p226-227)

・・近代社会の中軸にある(上記の)三つの価値は、それ自体は決して人間の活動の「目的」ではなくてあくまで「手段」なのである。(同書、p228)

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