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心より心を得んと心得て 心に迷ふ心なりけり

2021年7月7日 水曜日 朝から降り続く小雨

磯部忠正 日本人の信仰心 講談社現代新書480 昭和58年(1983年)

一遍の孤独独一

 しかし、「信不信をえらばず、浄不浄をきらはずに」あらゆる人を踊りの渦に巻きこんで、念仏を称えた一遍は、同時に「ひとり」に徹し、「孤独独一」を究めた人である。「生ぜしもひとりなり、死するも独(ひとり)なり。されば人と共に住するも独(ひとり)なり。そひはつべき人なき故なり」(『語録』六八)と言い放った人である。

をのづからあひあふときもわかれても

ひとりはをなじひとりなりけり

・・・(中略)・・・

・・「人と共に住するも独(ひとり)なり」の一遍には、ともに生きる人はいないのである。独りに徹し、現実の人間としては、いわば「空(くう)」になりきったときに、すべてを捨てて、捨てる心をも捨てはてたときに、かえって、真空を埋める四囲の空気のように、衆人がぞろぞろと随いてきた。この「空」から発する一種異様な魅力が、衆人をひきつけたのであろう。

 「独」といい、「空」というと、いかにも虚無的な響きがあるが、一遍の「空」は、すべてを捨てはてたのちに、おのずから満ちあふれてくる生命(いのち)そのものの真の姿である。生命の原始の有り様が踊りとなって表現されるのである。その踊りのリズムが称名念仏の合唱と融けあって人々の魂は浄土に往生する。(磯部、同書、p96-98)

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