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社会主義と闘うハイエクの「保守主義」:個人の自由を守るのは、権力を拘束する上位のルールを重視する「法の支配」の伝統であった。

2021年8月16日 月曜日 曇り(自宅は肌寒いほどの冷え込みぶり。長袖を羽織る。秋が来たのか? ほんの10日ほど前までの猛暑は、すでに過去のものとなった。先週(8月10日・火曜日)の降雨のおかげで、やっと私たちも「畑の新植ブドウ苗への『水やり』」の重労働から解放され、少しの時間を読書に回すことのできる日が来た。)

宇野重規 保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで 中公新書 2378 2016年

社会主義と闘う

 ・・ハイエクはまず、自由を「強制の欠如」として定義する。そのようなハイエクにとって、もっとも恐れなければならないのは、政府による恣意的な権力行使によって人々の自由が失われることであった。

 ハイエクが重視したのは、人間の行動の所産ではあるが、意図の結果ではないような複雑な秩序であった。・・自生的秩序を形成するのは、歴史的に形成された制度や慣習といったルールであった。・・制度や慣習はつねに歴史のなかでふるいにかけられ、そこで生き残ってきたものである。ハイエクの考える「進化」とは、制度や慣習といった「ルール」の進化であった。このようなハイエクの秩序像が、きわめて保守主義と親和性の高いものであったことはいうまでもない。

 ハイエクは、このような「進化」で中心的な役割をはたすものを「法」と呼んだ。この場合の法とは、特定の立法者が意図的につくり出したものではなく、歴史的に形成されてきた振る舞いの一般的ルールを指す。ハイエクが法のなかでとくに重視したのは「一般性」であった。個別的な対象に対する立法は、対象とされる個人や集団に対する強制に等しい。法は特定の対象を狙い撃ちにするものであってはならないのである。その意味で、一般的なルールは強制を最小にするとハイエクは考えた。(宇野、同書、p90-91)

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デモクラシー(民衆による支配)vs イソノミア(市民の間の政治的平等):

 ハイエクの思想史では、デモクラシー(民主政治)より、はるかにイソノミア(法の支配)が重視された。ハイエクの見るところ、権力による恣意的な立法の危険性は民主政治ではむしろ大きくなる。個人の自由を守るのは、権力を拘束する上位のルールを重視する「法の支配」の伝統であった。(宇野、同書、p93)

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 ・・このようにハイエクの思想的展開を振り返るとき、新自由主義的な思想家としてハイエクを捉えることがいかに不適切かわかるであろう。ハイエクの思想の本質は人間の知の有限性やローカル性を重視する懐疑主義であり、多様性や選択の自由を重視する自由主義である。その政治的主張の中心は、憲法によって政府による恣意的な立法を抑制しようとする立憲主義にあった。このようなハイエクの思想に、バーク(=エドモンド・バーク)以来の英国保守主義の現代的展開を見てとることができるはずである。(宇野、同書、p94)

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