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ローラが誰であるのか思い出した今は、彼女に再会したいという欲望が募った。

2024年11月14日 木曜日 晴れ

モーム短篇選 行方昭夫編訳 岩波文庫 赤254-12

 ・・「ミセス・グリーンは同僚の一人と結婚していて、彼女自身もルネッサンスとイタリア文学の講義を担当しています」・・「そうでしたか。それは面白い」私はそう言ったものの、記憶の助けにはならなかった。(五十女、行方訳、同書、p257) ・・「フロレンス?」 どうやら私はそこで彼女と出会ったらしい。彼女は五十歳ぐらいで、白髪まじりの髪をあっさりした髪形にし、軽くパーマをかけていた。やや太り気味で、きちんとした服装をしているが、目立つものでなく、ドレスは大きな店の地方の支店で出来合いを買ったのだと見当がついた。薄青の大きめの目で冴えない肌だった。・・よい人柄のようだった。態度に母親らしさというか、落ち着いて満ち足りたところがあり、それなりに魅力的だと思った。(中略)・・大学教授夫人とはこういうものかと想像するようなタイプの女性だった。(補註:文脈から推して、大学教授の夫人ではなく、夫人自身が大学教授という意味だろう)彼女の日常生活は、有意義であっても平凡で、給料は安く、付き合いは地味で、人の噂話をしたり、時につまらぬ喧嘩をしたり、忙しいけれど退屈なものだろうと想像できた。だとすれば、ただ一回のフロレンス旅行は心躍る忘れ難い経験として今だに鮮明に記憶されているに違いない。(五十女、行方訳、同書、p258;オリジナルの『五十女』は短編集『環境の動物』(1947年刊)に収められている)

補註: フロレンス=もちろん、フィレンツェ。フィレンツェ・・メディチ家の至宝、ウフィツィ美術館・・とワープロで変換候補としてなぜか自動的に出てくる。

ウフィッチ美術館、Annunciation、Da Vinci; The Angel Gabriel announcing to the Virgin Mary that she can be the Mother of Christ, the Son of God, an offer she accepts. (ウィキメディアより引用)

私の畑のピンクのレオナルド(2020年撮影)

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 ウフィッチ美術館、Botticelli、〜1483年ごろ。(ウィキペディアから引用)

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・・肌は美しく、生まれつき血色がいい。顔の造作は、目立つ程ではないが、好感を与える。・・最大の特徴は身のこなしの優美さだった。ダンスが人並み外れて上手だと効いたが、さもありなんと思う。・・スタイルが抜群であった。彼女の魅力は、近代イタリア画家の描く聖壇の聖母と仄かな官能性とが奇妙に混じっていたことであった。(同、p264)

補註: 「薄青の大きめの目で冴えない肌だった」vs「肌は美しく、生まれつき血色がいい」・・細かい記載で25年の歳月を語らせる・・モームらしい表現。

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「・・あまり幸せな結婚ではなかったようです」そこでワイマンはくすりと笑った。「それは私の推論にすぎないのですよ。昔イタリアに住んでいた名残の品を何一つ置いていないのです。そめて修道院の食卓や古い木箱がいくつか置いてあるとか、司祭が儀式に着る刺繍入りのマントが壁に飾ってあるとか、そういいうことが何もないのです」(同、p259)

 ・・私はうとうとしたが、深い眠りに入る前、潜在意識が、思い出そうという努力から解放されて、働き始めたようだ。突然ローラ・グリーンが誰だったを思い出して、すっかり目が覚めた。忘れたのも無理からぬ事だった。会ったのは、もう二十五年も前のことで、それもフロレンスに滞在した一ヶ月の間に数回偶然出会っただけだった。(同、p261)

・・グリーン家の晩餐に出るため、私たちは七時きっかりに着いた。ローラが誰であるのか思い出した今は、彼女に再会したいという欲望が募った。通された居間は平凡さの典型だった。確かに快適ではあるのだが、個性の一かけらも無い。まるで家具調度品すべてを通信販売でひとまとめにして整えたようだった。役所の事務室のような侘しさがあった。まず招待主のジャスパー・グリーンに引き合わされた。・・(以下、略)・・(五十女、行方訳、同書、p284)

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補註: 最初にフローレンスでローラに会った頃、語り手(私=〜モーム)は40歳をかなり過ぎていた(同書、p263に記載あり)〜第1次ヨーロッパ大戦直後。次にローラに会ったのはアメリカ中西部、その25年後。語り手の私は〜65歳頃(をかなり過ぎていた年齢)。

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 ・・そもそも覚えているのだろうか。大昔に起きたことであり、ひょっとすると悪夢に過ぎないと思えるのだろうか。こういう平凡な環境は、昔を忘れようとする彼女の努力の一端で、こういう若者たちの間に身を置くことで癒されるのかもしれない。知的なジャスパーが愚かしいというのは、もしかすると彼女には安らぎなのかもしれない。心を焼き尽くすような悲劇の後では、単調で安定した生活こそ彼女には望ましいのかもしれない。(同、p286)

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・・実際の人生では、物事は*然とでなく、悄然と終わるものだ。それにしても私は理解できなかった。何故彼女がわざわざ私に昔知り合いだったのを思い出させようとしたのだろう。(中略)あるいは、たとえ私が秘密を暴露しても、構わないのかもしれない。三人の若者が興奮して話し続けるのを静かに聞いている間、時々こっそり彼女の様子を眺めた。だが、感じよく、愛想のよい顔からは何も読み取れなかった。仮に真相を知らなかったら、この女性の平凡な人生に厄介な事件など一度も起きたことなどないと、誰しも断言したに違いない。(同、p288)

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