2021年12月13日 月曜日 晴れ
小浜逸郎 対話編①「フェミニズム問題」とは何だったのか。 対話編② フェミニズムの旗手たちを論駁する。「いまどきの思想、ここが問題。」 PHP研究所 1998年
小浜逸郎 大人への条件 ちくま新書117 1997年
小浜逸郎 ただしい大人化計画 若者が「難民」化する時代に ちくま新書488 2004年
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性差そのものを悪とするフェミニストたち
・・男女の社会的不平等の解消という課題以外に、エロス的な非対称性、つまり性差そのものを諸悪の根源であるかのように問題にする考え方は、生活に対する観念的な知のいらぬおせっかいであるとおれは思う。(小浜、「いまどきの思想・・」、p123)
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知識人のまえにある課題は、抽象的にいえば、たった二つだけだ。一つは、錯綜した現実を解きほぐしてみせること、これは原理的であればあるほどいい。そしてもうひとつは、もし解決困難な問題があるなら、その解きほぐしの原理にしたがった、こんなふうにしてみたらどうだろうという提案を出して、なるべく多くの人を説得することだ。(小浜、「いまどきの思想、・・」、p141)
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価値のものさしをどこにもつか?
・・ただ価値中立的に分析をやってりゃいいのかというと、それでは思想業が成り立たないところがむずかしいところなんだ。・・抽象的な原則も、体系的な知の枠組みも無力をさらしているとすれば、まず、現状認識の基礎素材そのものに何を求めたらいいのかってところから考え直していかなくちゃならん。 たとえばフェミニストの一部やその同伴者は、普通の男、普通の女の「実感」を軽蔑する。そしてそのかわりに、自分たちが手にしていると称する「学問的な歴史認識」なるものを対置する。・・ところが、学問的とか科学的とか称する知の形態が、しばしばその信奉者の世界認識をただの硬直的なイデオロギーにしてしまうという事実をおれたちは、この二十年くらいの間にいやというほど見せつけられてきたわけだ。いうまでもなくその最大のものは、いわゆる「社会主義国」が採用してきた世界認識の枠組みだな。 その結果、おれたちに残ったものはと言えば、世界を一つの合理的な原理によって抑え込もうとする営みへの深い絶望感だけだ。そういう世界解釈の軸の崩壊という事実をまともに受け止めようとするものなら、誰であれ、普通の生活者の実感を、それがただ実感にすぎないからという理由で軽蔑する資格などあろうはずがないんだ。(小浜、「いまどきの思想・・」、pp142-144)
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