biography

其時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう。

2022年12月16日 金曜日 雪

林千勝 近衛文麿 野望と挫折 WAC 2017年

林千勝 チャンネル桜・大学 講座「林千勝のこれが本当の近現代史」https://sakura-daigaku.jp/kouza/

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 ・・戦争に伴う昂奮と激情と、勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に本づく流言蜚語と是等一切の所謂世論なるものもいつかは冷静を取戻し正常に復する時も来よう。  其時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう(近衛が残した文面=メモの最後の一文; 林、同書、p353)

 ・・「神」とか「女神」のこのような使い方は、当時の日本人の思惟ではなかったような気がしてなりません。少なくとも近衛のこれまでの思考形態からはでてこない表現です。この不自然さは、近衛が残したとされるこの文面への第三者の関与を、後世になんとか伝えよう気づかせようと、近衛が意図的に最後の一文に組み込んだサインとは考えられないでしょうか。(林、同書、p356)

 ・・そして、・・GHQは近衛が残した文面については最後の一文を公にしないように命令しています。  十六日朝、この「遺書」は荻外荘にやってきた国際検事局の検事一行によって押収され、六年を経て、ようやく返還されたといいます。(林、同書、p356)

 ・・通隆(=近衛文麿の次男)は、この気軽に書かれているので、挿入や訂正があり文頭もそろっていない父の文面(メモ)を受け取って、きちんとみごとに清書して写しをつくっているのです。父との雑談が終わる(午前)二時から、死が発見され騒ぎとなる翌朝六時までの間に、そのような筆写をしていたのでしょうか。通隆としては父とのしばらくの別れを心してのことでしょうか。(林、同書、p357)

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 「・・前略・・、で、明日は行ってくださいますネ」  遂に私は決意して自分の一番気懸かりなことーーそれでいて今まで一時間余の間、言おうとして言えなかった質問を口に出した。  ・・しかし父は、行くとも行かぬとも答えず、黙っていた。私の眼は嘆願する様にして、父の眼を見つめていた筈だが、父の私を見返す眼も、別のものを私に訴えていたように思われるのだった。「まだそんなことを訊くのか、お前にはすっかり判っているだろうと思っていたのに・・」そんな調子の沈鬱な、そして半ば私を非難する様な、一種異様な面持ちであった。私はまだかつて、父がこの様な厭な顔をしたのを見たことがなかった。然しここまで来て初めて、私は(愚鈍なことだが)父の真意を直覚し得たのであった。」(通隆の雑誌『政界往来』昭和二十六年十二月号への寄稿文より。林、同書、p358-359)

 (この)描写で通隆はなにを訴えたかったのでしょうか。 ・・・(中略)・・・ 死を強要されている近衛の状況が焦点だったとしか考えられません。  しかも隣室で松本と牛場が聞き耳を立てている異様な状況です。  そんな近衛の人生の最期の隘路をどうしようもできない通隆の迂闊で安易な言葉と近衛の反応を、死から数年後、「あとづけ」で世に示すことで、通隆自身が叫びをあげているのではないでしょうか。通隆はなにかを世に伝えたくて、真実を訴えたくて、この最期の父との会話をあえてこのように書き記したのではないでしょうか。

 もし、そうであれば勇気のいることです。私は、ソ連で祖国を裏切ることなく死を迎えた兄文隆同様、この弟通隆にも「誠実さ」というものを感じることを禁じ得ません。(林、同書、p360)

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 ・・GHQは近衛が残した文面の特に最後の一文「戦争に伴う昂奮と激情と、勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に本づく流言蜚語と是等一切の所謂世論なるものもいつかは冷静を取戻し正常に復する時も来よう。  其時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう」について公にしない、新聞掲載などしないよう命令したといいます。(再掲、林、同書、p369)・・ なお、軽井沢の別荘にあった本や書類もかなりのものがGHQに接収され、ゆくえがわからないままのものが多いそうです。・・手紙の類もいっぱいあったはずですこれらは東京裁判で日の目をみることはありませんでした。  なんといっても、「陸軍を踊らせ、近衛を騙した」共産主義者たちの陰謀が近衛によって東京裁判で世界に向けて披露されることがなくなったのです。(再掲、林、同書、p370)

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近衛の死をめぐる関係者の証言は・・混乱をきわめています。私たちはこの混乱の中から、歴史というスクリーンに映しだされるひとつのメッセージを引きださなければなりませんし、「混乱」していること自体がすでに強烈なメッセージを発しています。(林、同書、p370)

ちなみに、「遺書」は筆跡鑑定がなされていないようです。近衛本人の筆跡であっても、近衛が「書かされた」可能性も考えなければなりません。用意された無難な文案のとおりに書いた可能性があります。ただし、その場合も、最後の一文の「神」はやはり近衛があえて付けくわえたものではないかと推測します。(林、同書、p371-372)

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