2022年9月12日 月曜日 曇り
たくきよしみつ(鐸木能光)介護施設は「人」で選べ 講談社 2020年
・・滅茶苦茶でも喋る元気があるのはいいことで、それは救いでしょうか。 そんな父に、スタッフは今日もスプーンでおかゆと煮魚をゆっくり、小一時間もかけて食べさせています。 途切れ途切れの瞬間瞬間を感情のままに生きている父と、それをていねいにケアする周囲の人たち。どちらの健康やストレス軽減を優先させるべきかと改めて突きつけられた気がしました。 さらには、これだけ元気なら、もしかするとこれから先まだまだ長期戦になる可能性もありそうです。それならますます、天気決戦で手術だけはしておいたほうがいいと、最終決定を追認できました。 ・・と、ここまで酔うんだかた、特に医療関係者の多くは、「これだから知ったかぶりの素人は困るんだ」と呆れたり、怒ったりするかもしれませんね。 ただ、一つだけ言えるのは、超高齢者や認知症患者が骨折のような緊急事態に陥ったとき、万能な正解などない、ということです。
手術する外科医は、患者のそれまでの生活やもともとの正確を知っているわけではありません。退院後、患者がどういう生活になって、どう死んでいったかまで見届けるわけではないのです。そこをずっと見ているのは、家族であり、介護スタッフであり、主治医です。ずっと見ていて、性格や細かな生活ぶりを知っている分、悩む要素も増えます。こうすればどうなるかという想像を働かせなければならないからです。 しかも、認知症老人には家族や医師もだまされてしまいます。ものすごくしっかりしたことをハキハキ受け答えしているかと思うと、翌日はそんなことはすべて忘れて滅茶苦茶なことを言ったり、予測不能なことをしでかしたりする。
かといって、家族や介護する側が、悩んでもしょうがない、悩み甲斐がないと思ってしまったら、介護の中身も杓子定規になり、介護される側の幸福度は著しく落ちるでしょう。理不尽なほどの面倒を背負い込む覚悟がないと、質の高い介護はできません。
つまり、急性期医療と介護とでは、仕事の性質がまったく違うのです。
その「違うもの」をどうやってバランスよくすり合わせるか。その決定と責任を誰が担うか・・これこそが医療と介護の連携問題の肝といえるでしょう。(鐸木、同書、p179-180)
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