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ホルバイン:屍のキリスト像

2019年12月12日 木曜日 朝は快晴

亀山訳 白痴3 光文社古典新訳文庫 2018年

その絵は、芸術的な点で、何ひとつ見るべきところはなかった。だがその絵は、ぼくのうちになにか奇妙な不安をよびおこしたのだった。・・ところがロゴージン家の絵には、美などといったものはかけらさえない。これは完全にもう、十字架に架けられる前から、かぎりない苦しみに耐えてきた人間の死体そのものである。・・死人の顔は、いささかの容赦もない。そこに描かれているのは、自然そのものであり、それがだれであれ、あれほどの苦しみを受けた後の人間の屍は、じっさいにあのようなものになるにちがいない。(亀山訳、同書、p211-212)

・・かりにもし、のちに使徒となるべき彼の弟子たちが、これと寸分ちがわない死体(キリストは必ずやこれとまさしく同じだったにちがいない)を目にしたとしたら、また彼のあとについて十字架のそばに立ち、そろって彼を信じ、崇めてきた女性たちがこれほどの死体を見たとしたら、どうしてこの受難者が甦るなどということが信じられたろうか?・・・(中略)・・・その当人ですら今では打ち負かされているというのに、どのようにして自然の掟を克服できるのか?(亀山訳、同書、p213)

ホルバイン:屍のキリスト像(部分)

この絵によって表現されているのは、まさに、この、万物を屈服せしめている、暗愚で、厚かましく、永遠に無意味な力の観念であるかのようであり、それが有無をいわさずこちらに伝わってくる。死者を取り囲んでいた人々はあの絵にはひとりも描かれていないが、おそらくはあの晩、恐ろしい悲しみと動揺を感じてすべての望みや、ほとんど信仰までが一挙に打ちくだかれてしまったにちがいない。・・・(中略)・・・そこでもし、師たるその人自身が、死刑の前夜にみずからの姿を見ることができたとしたら、はたして彼はあのとおりみずから十字架にのぼり、あのときのような死に方をしただろうか? あの絵を見ていると、そんなふうな問いも思わず浮かびあがってくるのである。(亀山訳、同書、p214)

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補註: 科学としての「歴史」という観点から見れば、ヨセフスのユダヤ戦記その他ほぼ同時代ないし近い時代の歴史書などの資料研究に基づいた19世紀までの学者の研究結果にて、西暦紀元前後頃の歴史事実に関しては、ほぼ決着のついている事柄である。一方、文学としての歴史理解、つまり在ったとされてきた歴史理解にもとづく文学(すなわち文学そのもの)は、深い。そしてまた、文学(→言葉の記録の一分野)としてだけでなく、実際に歴史的な事実として、人々の多くの苦悩の歴史を刻んできたのである。数え上げれば切りがない。これについては短く簡単な言葉に示せば多くの無意味で非生産的な誤解を招く恐れもあるので、本当にゆとりのあるときに十分に用意を重ね、聴く人に対してのみ語れることかと思う。

補註続き: それにしても、どうして過去に、これほどまでに人々は信仰を理由に苦しまねばならなかったのか? そして、今もって、またこれからも恐らく、人々は悩み続けねばならないのか? その起源は、私の考えるに意外と新しく局所起源で、しかし比較的最近とはいえ2000年前ごろのローマ帝国圏内のできごとではもちろんあり得ず、古代農耕文明の中期〜成熟期に淵源するのではないかと想定する。すなわち、幾つかの時代の幾人かに比定されているという一神教の創始者ゾロアスター(ツァラトゥストラ)の頃である。大雑把には今から3000〜4000年前のメソポタミアからエジプトにかけての地域である。書物によく書かれているように、「一神教の発明とともに地獄の概念も発明された」ということは、ひょっとするとあり得るかもしれない。私の以前の読書ノート「古代エジプト・アクエンアテンの宗教改革」 も読み返してみている。「アテン神は最初から唯一絶対神としてエジプトの大地に突如として躍り出てきたわけではない。元来はエジプトの八百万の神々の一つにすぎなかった。八百万の神々の中からアクエンアテンがアテン神を選び出し、唯一絶対神としての地位を与えたのである。(吉村作治 古代エジプトの謎 ツタンカーメン・クレオパトラ篇 中経の文庫 2010年、p135)  https://quercus-mikasa.com/archives/2154  (こちらもお時間のあるときにどうぞご覧ください)。

補註: The Body of the Dead Christ in the Tomb 1521 『墓の中の死せるキリスト』(1521年 – 1522年頃)バーゼル美術館

<閲覧注意!> https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・ホルバイン#/media/ファイル:The_Body_of_the_Dead_Christ_in_the_Tomb,_and_a_detail,_by_Hans_Holbein_the_Younger.jpg <閲覧注意!>(補註: 上記の絵は、死体の絵です。よって、閲覧に関してはご注意下さい。死体の絵を見たくない人は上記のリンクをクリックしないで下さい。)

日本語の解説も多く出ております。たとえば、「mariのページ」など、ご参照下さい。 https://www.marinopage.jp/「墓の中のキリストの屍」/  

補註:西洋の多くの絵画に関しては、たとえば htpps://www.wga.hu/index1.html Web Gallery of Art のページなどで調べることができる。

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Darmstadt Madonna
1526 and after 1528
Oil on limewood, 147 x 102 cm
Schlossmuseum, Darmstadt

ハンス・ホルバイン: ダルムシュタットのマドンナ像

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ホルバインの家族の肖像:

The Artist’s Family 1528 Oil on paper mounted on wood, 77 x 64 cm, Basel

ホルバインがロンドンからバーゼルへ一時的に戻っていた1528年から1529年頃に描かれた、画家自身の妻と子どもの肖像画には、上述の公的肖像画とは全く異なった作風が見られる。この絵に見られる妻と子どもの悲しげな表情は、妻子を省みず、ロンドンで単身生活を送っていた画家の自責の念を赤裸々に表現したものとみるのが通説となっている。とのこと。(https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・ホルバイン より引用。)

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そして、トマス・モア卿:

Sir Thomas More 1527-28 Black and coloured chalks on paper, 397 x 299 mm Royal Collection, London

以下引用掲載の油彩もトマス・モア卿。

トマス・モア卿の肖像

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