culture & history

親から子へ、子から孫へと続く家族の生物的な絆は、同じ歴史を共有してきた、同質の教育を受けてきたという経験によって、文化的な絆へと昇華される。

2021年4月15日 木曜日 曇り


吉田武 処世の別解 比較を拒み「自己新」を目指せ 東海大学出版部 2017年

教育の連続性の問題

親から子へ、子から孫へと続く家族の生物的な絆は、同じ歴史を共有してきた、同質の教育を受けてきたという経験によって、文化的な絆へと昇華される。家族の構成員のそれぞれが、全く異なる教育システムの中で、内容的にも異質なものを教授されてきた場合、そこに知的会話が成立するだろうか。これは、基本的な語彙、人格の基礎となる教養の問題であるから、「互いの違いを楽しんで」などと悠長なことは言っていられないのである。(吉田、同書、p100)

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「人間的合理」

伝統を重んじ、歴史に学ぼうとする者は、常に非論理的、非合理的である。伝統にその必然性を説明する論理はない。歴史は元より合理的ではない。しかし、長く用いられてきたものには、必ず何らかの理由がある。即ち、「人間的合理」がある。人の考え方、在り方に馴染むのである。現状を慈しみ、そこに理論が無いが故にそれを愛するのである。愛無き輩を、薄情者として拒むのである。(吉田、同書、p104)

・・しかし、人間は、そうした荒涼とした世界では生きていけないのである。

・・人間的合理は、こうした戯言(たわごと)を黙殺する以外に他に方法を持たない。その隙を彼等(補註:機械的合理性を主張する改革論者たち)は得意満面の表情で突いてくるのである。このような合理性における「機械 対 人間」の対立は、今後益々際立ったものになっていくであろう。(吉田、同書、p106)

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最も基礎的な教養である「言葉」と「計算」を蔑(ないがし)ろにして来た。両者の衰弱は、そのまま人間の衰弱である。それに気附かないことこそが、衰弱の証である。(吉田、同書、p107)

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