culture & history

魔女幻想

2021年4月18日 日曜日 雨

渡会好一 魔女幻想 呪術から読み解くヨーロッパ 中公新書1494 1999年

 ・・当時のプロテスタント神学は、こどもの早死に限らず不幸な出来事に襲われたら、まず罪深い自分をこらしめる神の罰だと考えろ、と教えていた。この考えを徹底するなら、すべては神のおぼしめし次第だから、不幸を魔女のせいにする魔女幻想は生まれない。

 しかし、神罰だとみとめるのは自分の罪深さを認めることである。だから、神が魂を救済してくれるかどうか不安がつのる。いっそのこと、自分の罪深さを魔女に投射してしまえば、心の安らぎが得られるだろうし、神を呪うという罪も犯さずにすむ。人間の心がこのように巧妙に演じる無意識の自己欺瞞ーーーそれが、隣人を魔女だと思い込む魔女幻想の正体なのである。

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補註: 「不幸な出来事に襲われたら、まず罪深い自分をこらしめる神の罰だと考えろ、と教えていた」・・この神学教理の及ぼす結果や影響について(いずれは)深く考察してみよう。

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・・その抗争に翻弄され、不安定な王位に不安を感じる若い君主の考え出したのが、王権神授を強調するこの悪魔学なのである。(渡会、同書、p180)

補註; スコットランドのジェイムズ6世、エリザベス女王の後、イングランド王ジェイムズ一世。

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グランディエ事件: 悪魔祓いが悪魔憑きをつくる

・・リシュリューはまたなぜこれほどの執念を見せたのであろうか。・・1636年、パリ高等法院における演説で、「諸君、ひとことでいうなら、わたしは服従されることを望む」と明言したように、規律と秩序を何よりも求めるリシュリューが、カトリック内部の分裂に対して与えた訓戒であり、見せしめであったのではないか。政治的秩序感覚に加えて、宗教的・社会的秩序感覚からも、グランディエは公開の場で処刑すべき男であっただろう。(渡会、同書、p195)

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ピューリタンの復讐劇

・・港町セイラム。その郊外のセイラム村を発火点に燃え広がった魔女騒動は、一九名の縛り首、三名を獄中で死なせたあと、ようやく植民地総督フィップスの決断で終息した。時は1692年から3年にかけて、祖国(イングランド)の最後の魔女が処刑された1685年から七年後のことであった。(渡会、同書、p195-196) ・・ この背景にあるのが、村の中の根深い対立であった。・・1672年、セイラム町教会から独立したセイラム村教会ができた・・ 教会をめぐって両派の確執はつづき、魔女狩りが発生した1692年当時、村はほぼ二分されていた。(渡会、同書、p198-199)

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バンベルクで1628年に処刑された市長ヨハネス・ユニウス

・・ユニウスを名指したゲオルク・ハーン博士は、将棋倒しのような裁判をやめさせようとして、魔女(=witch)にされた高官であった。このときすでに拷問で痛めつけられ、身は魂の抜けがらに変えられていたのである。時の皇帝フェルディナント二世は、ハーン博士と家族の釈放命令を出したが無視されて、1628年、火刑が実施された。王権崩壊を象徴するようなエピソードである。(渡会、同書、p213)

補註: フェルディナント二世といえば・・以前にこのブログでも紹介した。 ドイツ30年戦争の発端となった、「プラハ近郊の『白山の戦い』:フェルディナント二世の三十年戦争の始まりと神聖ローマ帝国改編」https://quercus-mikasa.com/archives/11443 「大戦前夜1911年のハシェクが1620年の白山の戦いを語る:30年戦争とその後のボヘミア」 https://quercus-mikasa.com/archives/11487 「三十年戦争を通じて帝国内外で少しずつ国家理性、国家意志が形成されてきたとき、帰属意識の希薄な大傭兵隊長ヴァレンシュタインは抹殺の対象となる。」 https://quercus-mikasa.com/archives/11446 ・・ヴァレンシュタインを用い、そして抹殺したフェルディナント皇帝である。

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