読書ノート

死にかた論

2021年6月13日 日曜日 晴れ・暑い

外で働くには暑すぎるかもしれない一日。スィートコーンの苗を定植、ずらして蒔くはずだったスィートコーンのタネを直播き、エダマメを直播き、手亡豆を直播き、以下も直播き:ビーツ(デトロイト)、チンゲンサイ、シュンギク、カブ、そして九条ネギ。九条ネギは7年前(2014年)にタネ蒔きして以来の久しぶりにネギをタネ蒔きした。

**

佐伯啓思 死にかた論 新潮選書 2021年

それ(=魂=霊魂)は、何らかの形で、われわれのこの世界の背後に、あるいは、祖先としてすぐ近くに存在する。だから、魂(霊魂)の側からすれば、もともとそれは「神的」な何かであった。それは、ある一時、人として肉体をもち、やがてその肉体が朽ち果て、再び「神的」なものへと帰還するとみることもできよう。魂からすれば生死にさして違いはないのだ。また、死後霊魂は、いずれ生者のすぐ近くにいたり、祖霊として帰還したり、あるいは招魂によってこの世へ回帰したりするのである。ここには生死連続説がある。(佐伯、同書、p102)

**

*****

*********************************

RELATED POST