2017年2月27日 月曜日 雪
宮崎孝一 オースティン文学の妙味 鳳書房 1999年
(補註 著者は1918年生まれの英文学者。よってこの本の出版は著者の81歳の頃である。「数年前、大学の勤務をやめて時間の余裕ができてから、かつての楽しみを思い起こし、ふたたびオースティン研究にとりかかった。その結果できたのがこの本である。」とのこと。)
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オースティン文学の妙味
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スーザン令夫人
スーザン令夫人を悪女とか妖婦とか呼んでいる評家が多いが、これは彼女の全貌を示す言葉ではないと私には思われる。・・彼女の方から積極的に働きかけている形跡は乏しい。むしろ彼女は、男性たちからの働きかけをおとなしく受け入れるという態度である。ではなぜ彼女は、その働きかけをはっきり拒否しないのかというと、実は彼女はこの男性たちに関係のある女性たちを苦しめたいのだと私は思う。・・・(中略)・・・スーザン令夫人の何事にも動じない決断力や、自分の心のなかを人に見すかされない演技力には、快哉を叫ばざるをえない。(宮崎、同書、p200)
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ワトソン家の人々(The Watsons)
この標題は、J・E・オースティン・リーが、1871年出版の「ジェーン・オースティン回想」(第二版)に、題名のない未完の原稿を載せたときにつけた名前である。(同書、p201)
エマは現在十九歳で、幼いときから叔母の家で育てられたのであるが、この叔母の主人が亡くなった後、叔母がオブライアン大尉と再婚し、アイルランドに住むことになったため、彼女は十四年ぶりに生家に戻ってきているのである。(宮崎、同書、p203)・・(オースティンの姉のカサンドラが姪たちに語ったところによれば、この物語の今後の成り行きは)・・ワトソン氏(エマの父)はまもなく死亡し、エマは、狭量な義姉(エマの兄ロバートの妻)と兄の家に寄寓することになる。彼女はオズボーン卿からの求婚を拒否し、オズボーン夫人がハワード氏を愛するようになることから、物語の興味が増大することになる。そして、ハワード氏がエマを愛するに至り、二人は結局、結婚する。(補註)(宮崎、同書、p208)・・この小説が、オースティンの他の大部分の小説と違った感じを与える点の一つは、ワトソン家の姉妹の間が冷たいものであることの指摘が、二、三見られることである。この断片を書き進めるとすれば、姉妹の間のこの問題を冷徹に掘り下げるか、それとも何らかの調整、解決を計るかが、作品の方向を決める一つの鍵となることであろう。作者はここで迷い、ついに断片のままで放置したのではないか。(宮崎、同書、p208)
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サンディトン
原稿に記してある日付によって、作者がこの小説を1817年1月27日に書き始めたことが知られる。すでに病勢が進んでいて、二ヵ月かかって約2万4千語を推敲した時点で、3月18日に筆を止めたのであった。死のちょうど4か月前であった。
「サンディトン」という標題は、未完の原稿にオースティン家の人びとがつけたものである。しかし、ジェーン・オースティン自身はこの作品の表題を The Brothers とするつもりであったという説も、オースティン家に伝わっている。・・・(中略)・・・
この作品が未完成のままで残されたのは、非常に残念である。構想にも文体にも、これまでのオースティンの作品に見られなかった新機軸がうかがわれるからである。新開拓の保養地で繰り広げられる人びとの営みには、今までになかった活気があり、文体は新鮮で軽快な感がある。ときに習作期の作品に見られた筆法を彷彿とさせるところもある。・・しかし、全体としては、若いときの筆よりもはるかに熟練を積んだものである。
登場人物の数が多いこと、それらの人びとがおのおの経済生活に根ざした現実的な活動をしていることも、この作品の特徴の一つであろう。これらの人物のうち、誰が中心人物になるのか、未完の作から想像することは困難である。・・・(中略)・・・風景や場面の雰囲気の描写が堂に入っていることも、この作品の優れた特徴の一つであろう。死を間近にした作者が、これだけの力を秘めていたことは、大きな驚異と言うべきであろう。(宮崎、同書、p215-6)
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