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旧石器時代以降の概略年表

2024年2月2日 金曜日 晴れ(輝く雪景色と青空)

長浜浩明 日本人の祖先は縄文人だった! いま明かされる日本人ルーツの真実 展転社 令和3年 より<以下引用>

日本列島での主な出来事(年代は概数、基準年は概略1950年)

12万年前 大陸と陸続きだった日本列島に旧人がやって来る。

4万年前 南から日本に新人がやって来る。

3万6千年前 沖縄でこの時代の人骨が発見される。府中市・武蔵台遺跡、約3.5万年前の大規模旧石器遺跡が発見される。

3万年前 種子島の立切遺跡などで人びとの定住生活が営まれる。姶良(あいら)カルデラの大爆発起きる

2万9千年前 南からきた新人が北海道に到達し更に北上する。

2万4千年前 鹿児島県・耳取遺跡、南からやって来た人びとの定住生活が始まる。今度は北から人びとがやって来て北海道に達し更に南下する。

2万2千年前 南方スンダランドから新人が日本列島へ向かう。沖縄で港川人(みなとがわじん)が生活。

1万6千年前 青森で世界最古級の土器が作られる。

1万3千年前 南九州に集落が現れる。桜島の大爆発が起きる。

1万2千年前 南九州で南方紀元を思わせる独自の縄文文化が展開する。鹿児島県の遺跡からイネとキビのプラントオパールを検出。島根県・板屋III遺跡からイネやキビのプラントオパールを検出。朝鮮半島のヒトは絶滅・無人地帯となる。

9500年前 南九州で定住集落(上野原遺跡)が成立。

7300年前 鬼界カルデラの大爆発が起きる。

7000年前 長江下流域で原初的天水田稲作が始まる。この頃、日本から無人の朝鮮半島への移住が始まる。九州から沖縄へと人々が移住していく。

6000年前 朝寝鼻貝塚からイネのプラントオパールが検出される。各地で縄文土器胎土からイネのプラントオパールが検出される。

3200年前 北部九州で縄文人による灌漑施設を伴う水田稲作が定着(菜畑遺跡)。

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補註:

立切遺跡 種子島:種子島でもっとも古い遺跡は、南種子町横峯遺跡(鹿児島県指定史跡)、中種子町立切遺跡・大津保畑遺跡で、約3万5千年前(較正年代)の遺跡である。これらの遺跡は、鹿児島県内で最も古い遺跡である。また、旧石器時代に人類が生活をした数少ない離島の一つでもある。種子島では細石器文化も確認されていて、南種子町銭亀遺跡は、細石器文化が確認された日本列島最南端の遺跡である。

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菜畑遺跡(なばたけいせき): 菜畑遺跡(なばたけいせき)は、佐賀県唐津市にある縄文時代末期 – 弥生時代の遺跡である。国の史跡。 唐津市中心市街地の西南部、JR唐津駅から西に2キロメートルほどのところに位置する。縄文時代の水田跡が発見されており、日本最古の水稲耕作遺跡とされる。

ウィキペディアによると・・・縄文時代晩期末の水田跡: 1980年-81年の発掘で、縄文時代晩期末とされた土層から、大規模な水田が営まれていたことを裏付ける水路、取排水口、木の杭や矢板を用いた畦畔(けいはん)が発掘され、これは従来縄文時代晩期末とされた今から2930年前ぐらいに日本で初めて水田耕作による稲作農業が行われていたことを実証するものと考えられている。

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